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[道あり]前北九州市長 末吉興一さん<7>母の力強さ 生きる手本

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 期待した成果を上げられず、厳しく批判された事業もある。

 1998年にJR小倉駅北口に国際物流の拠点として開設した施設「アジア太平洋インポートマート(AIM)」。核店舗に予定していた企業が事実上倒産して撤退し、入居率が3割程度のまま開業した。その後もテナント誘致が難航。施設を運営する第3セクターの累積赤字は一時20億円超となり、市がフロアの一部を借り上げるなどした。

 JR黒崎駅周辺の活性化を目指して2001年に開業した複合商業ビル「コムシティ」も店舗が集まらず、1年半で運営する3セクが破産手続きに入った。市長時代には再建できず、引退後に市が商業フロアなどを3億円で買い取り、13年に公共施設などが入居して再開した。

 結果が出せなかった時には自ら市民に説明するよう心掛けてきた。コムシティに関する記者会見では深々と頭を下げ、「全力でこの難局を乗り切りたい」と繰り返した。「在任中で一番つらい会見だった」と振り返る。

 それでも20年間務めることができたのは、母親ミヨさんの存在があったからだ。

 ミヨさんは、夫の留男さんを1961年に亡くした後、60歳を過ぎてから集金の仕事に就き、1日に10キロは歩くような日々を約10年間送った。趣味では書道を始め、88歳の米寿を記念した書展では「ブチアタルまで わたしの道をゆこう」と書くほど元気な女性だった。

 ミヨさんは息子である自分を幼い頃からずっと励ましてくれた。国民学校2年生の時には、骨折して左手が右手より短くなってしまった自分に、手にやけどを負っても医者になった野口英世の話をしてくれた。

 市政で懸案が持ち上がり、悩んでいた時も同じだった。ミヨさんが「興一、それは命まで取られるこつか」と聞く。「そんなことはないよ」と答えると、「じゃあ、たいしたことじゃない」と励まされた。自分の肩の力がふっと抜けるのが分かった。

 2004年に102歳で亡くなるまで、「済んだことにはクヨクヨするな」と声をかけてくれた。「目標に突き進む母の力強さは、生きるうえでの手本だった」と今も思う。

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2206157 0 道あり 2021/07/14 15:38:00 2021/08/23 12:17:51 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/08/20210823-OYTAI50023-T.jpg?type=thumbnail

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