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[道あり]元女子バレーボール全日本代表 西川樹理さん(旧姓・横山)<1>「ジュリ・スマイル」今も

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 バレーボール・全日本チームのアタッカーとして1970~80年代に活躍し、女子バレーブームを象徴する選手だった西川(旧姓・横山)樹理さん(63)。はじけるような笑顔「ジュリ・スマイル」は、今もコートの上で輝いている。

 福岡県中間市の体育文化センターに、ひときわ大きな声が響いていた。「打て、打て」「チャンスよ」「さあ、1本」――。

全日本で活躍した現役時代を振り返る西川さん=中嶋基樹撮影
全日本で活躍した現役時代を振り返る西川さん=中嶋基樹撮影

 趣味で集まる地域の仲間たちと一緒にコートに立ち、トスを上げて味方の選手を動かしながら、時には自らアタック。好プレーだけでなく、ミスに対しても拍手とハイタッチで盛り上げる。バレーボールより軟らかく、一回り大きい球を使うソフトバレーボール。60歳代の同世代も80歳代の高齢者も、白熱したラリーに心地いい汗をかき、笑顔が途切れることはない。

 体重約4000グラムで生まれ、7か月の時には、元気な赤ちゃんを表彰する地元のコンクールで特等賞に選ばれるほどの健康優良児だった。幼い頃から駆けっこや水泳などで抜群の運動神経を発揮した。1964年の東京五輪で「東洋の魔女」と言われた全日本女子が金メダルを獲得すると、空前のバレーボールブームが到来。漫画の「アタックNo.1」「サインはV!」が大流行した時代、中学でバレーボール部に入部したのは自然な流れだった。

 中学から本格的に始めた選手ばかりのチームは、決して強くなかった。だが、ボールをみんなで必死につなぎ、お互いに声をかけ合いながら勝利を目指す競技に心を奪われた。

 「ひょうきんで黙っているのが性に合わない」という性格。「とにかく楽しくて仕方がなかった」という中学時代で一番の思い出は、3年生で初めて出場した県大会だった。泊まりがけの遠征がうれしすぎて、明け方までチームメートと部屋でおしゃべり。結局、寝不足のまま開会式に臨んで貧血を起こし、何とかプレーはしたものの、早々と敗退してしまった。

 公式戦で大きな実績はなくても、中学で身長が20センチも伸びて1メートル70を超えた大型アタッカーのうわさは広まっていた。「絵を描くのが好きだから、将来は漫画家になりたいな」。ぼんやりとそんな進路を考えていた時、福岡市の強豪・博多女子商高から声がかかった。運命の歯車は、もう動き出していた。

 〈プロフィル〉1955年、福岡県香月町(現・北九州市)生まれ。博多女子商(現・博多女子)高を経てユニチカ貝塚入りした73年に、18歳で全日本に初選出された。76年のモントリオール五輪で金メダルを獲得。家族は夫と長男。

=2018年11月6日 読売新聞地域面(西部本社版)掲載=

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2224797 0 道あり 2021/07/21 16:23:00 2021/07/21 16:23:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210721-OYTAI50003-T.jpg?type=thumbnail

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