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[道あり]元女子バレーボール全日本代表 西川樹理さん(旧姓・横山)<2>猛練習耐え高校総体V

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 福岡市の博多女子商(現・博多女子)高の同級生で、バレーボール部主将だった藤本文江さん(64)は、出会いの瞬間を鮮明に覚えている。スポーツ推薦入試で実技を行っていたときだ。

 「スパイクを打った後の着地で転がっては『ガハハ』と笑っていた」という豪快さに加え、衝撃を受けたのはそのパワーだ。「中学生のアタックではなかった」。同じアタッカーだった藤本さんが気後れして、ポジションを「レシーバー」と申告したほど、周囲とは天と地ほどの差があった。

厳しい練習に耐えた博多女子商高時代の西川さん(本人提供)
厳しい練習に耐えた博多女子商高時代の西川さん(本人提供)

 寮生活への憧れと、一度は優勝したいとの思いを胸に、西川さんは進学した。しかし、考えの甘さをすぐに思い知らされた。

 当時の指導法はスパルタが当たり前。想像を絶する世界が待っていた。朝練に始まり、放課後も午後10時頃まで猛練習が続く日も。新品のジャージーは1、2か月で膝がすり切れた。寮に帰って洗濯をする余裕はなく、翌日も同じ練習着を持って学校へ。授業中が貴重な睡眠時間だった。

 すぐに主力メンバー入りしたが、何度も実家に逃げ帰った。その度に監督が迎えに来て、母の笑子(えみこ)さん(85)からも「高校は卒業しないとだめよ」と言われ、泣く泣く戻ることの繰り返し。「人生で一番苦しい、戻りたくない時間」と振り返るほどの日々はしかし、確実に力に変わっていた。

 3年生になった1972年、最後の全国高校総体の舞台は山形県酒田市だった。監督から言われた「優勝したら帰りに仙台の七夕まつりに連れて行ってやるからな」という「ニンジン作戦」にチームは発奮した。エースとして豪快なバックアタックなどでポイントを次々に奪い、決勝戦で中村高(東京)をストレートで破って初優勝。「ようやく報われたと思って、めちゃくちゃうれしかった」。汗と涙の記憶がほとんどの高校生活のなかで、きらりと光るハイライトだ。

 ただ、後日談がある。当時、全国高校総体の優勝校は韓国遠征に行くことが決まっていた。パスポートの手配などを急ぐ必要があったため、約束の七夕まつりは泡と消えたという。

=2018年11月7日 読売新聞地域面(西部本社版)掲載=

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2224800 0 道あり 2021/07/21 16:23:00 2021/07/21 16:23:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210721-OYTAI50004-T.jpg?type=thumbnail

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