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[道あり]元女子バレーボール全日本代表 西川樹理さん(旧姓・横山)<3>パワーと笑顔 人気博す

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 博多女子商(現・博多女子)高の全国制覇の原動力となったアタッカーは、女子バレーボール界に現れた新星だった。

 複数の実業団から誘われ、卒業後は、高校の先輩も在籍していた大阪のユニチカ貝塚に入団した。母の笑子(えみこ)さん(85)から「3年は辛抱しなさい」と送り出されてスタートした社会人生活1年目。いきなり18歳で全日本に抜てきされた。

モントリオール五輪で金メダルを獲得したバレーボールの全日本女子チーム(1976年7月)
モントリオール五輪で金メダルを獲得したバレーボールの全日本女子チーム(1976年7月)

 「まさか選ばれるとは思ってもいなかった」。当時の全日本は、1976年のモントリオール五輪に向け、コンビネーションを生かした攻撃的なバレーが特徴の日立を主体に強化が進められた。粘り強く拾って展開するユニチカ貝塚とは正反対のスタイルだっただけに、戸惑いは隠せなかった。

 代表合宿では若手の控えとして、練習の準備などの雑用をこなしながら何とか適応しようと試行錯誤。もどかしさを紛らわせるように、宿舎の部屋で大好きな郷ひろみの歌をイヤホンで聴いた。全日本のチームメートで日立に所属していた池田(旧姓・矢野)広美さん(63)は「決して弱音は吐かなかったけれど、なかなか試合に出られず苦しかったはず」と心情を察していた。

 当初は想像さえできなかった五輪の舞台。意識が変わったのは、74年にイランで行われたアジア大会がきっかけだった。開会式の入場行進に参加し、国際色豊かな雰囲気に圧倒された。「五輪の開会式は、どんな感じなんだろう。行ってみたい」

 誰にもまねできない強烈なアタックと持ち前の明るさで、次第にチームに欠かせない存在となった。パワフルなプレーと愛くるしい笑顔のギャップで人気を博し、選手交代でコートに立てば、会場がどっと沸いた。

 念願だった五輪代表に選ばれ、見事に金メダルを獲得。ただ、ソ連との決勝では、ほとんど出番がなかった。抱き合って喜びに浸る一方、胸の底からこみ上げてくる感情に気付いた。

 「これはみんなに取らせてもらった金メダル。次は私がコートの上で……」

 メダルを首に下げた時にはもう、4年後へ決意を新たにしていた。 

=2018年11月8日 読売新聞地域面(西部本社版)掲載=

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2224803 0 道あり 2021/07/21 16:24:00 2021/07/21 16:24:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210721-OYTAI50005-T.jpg?type=thumbnail

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