[道あり]柔道家 二宮和弘さん<1>重圧に耐え遅咲きの金

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 昭和の柔道界で活躍した二宮和弘さん(74)は、血を吐くような猛稽古を積み、1976年モントリオール五輪の軽重量級(93キロ以下)で金メダルをつかんだ。今も故郷の福岡で競技団体の要職を歴任し、「柔道ニッポン」を縁の下から支えている。

[道あり]柔道家 二宮和弘さん<7>聖火ランナー 大役務める

赤帯を締め、畳に立つ二宮和弘さん(10月6日、福岡市中央区の福岡武道館で)=浦上太介撮影
赤帯を締め、畳に立つ二宮和弘さん(10月6日、福岡市中央区の福岡武道館で)=浦上太介撮影

 7月26日、福岡市内の自宅で東京五輪をテレビ観戦していると、柔道男子73キロ級で連覇を果たした大野将平選手(29)の姿にくぎ付けになった。「苦しく、つらい日々を凝縮したような戦いでした」。涙を浮かべて語る天理大の後輩に、自身の遠い記憶を重ねた。「金メダルを宿命づけられ、大野はつらかっただろう。あれはホッとしたという涙なんですよ」

 29歳で挑んだ45年前のモントリオール五輪。下馬評で年齢や減量苦を不安視する声がささやかれる中、日本勢は初日に金メダルを逃し、崖っぷちの状況で2日目に出番が回ってきた。お家芸の柔道は「勝って当たり前」と言われた時代。陽気な性格を自任していたが、この時ばかりは「負けたら日本に帰れない」と心が押し潰されそうになった。

モントリオール五輪で獲得した金メダル
モントリオール五輪で獲得した金メダル

 無心で戦い抜き、五輪の頂点に立った瞬間、心の奥底から湧いてきた感情は、喜びでも達成感でもなかった。「これで国に帰れる。重圧から解放された、ホッとした気持ちだけだった」。帰国後、福岡県警の同僚で中量級(80キロ以下)金メダルに輝いた園田勇さん(75)と顔を見合わせ、「もしも負けたら警察を辞めるつもりだった」とお互いが同じ覚悟だったことを打ち明け合った。

 博多高までは目立った実績もなく、全国的には無名の存在だった。平凡だった競技生活は、恩師との出会いで様変わりする。天理大では64年東京五輪で代表監督を務めた松本安市さん(1996年死去)に得意技の大外刈りを伝授され、その後に進んだ柔道の私塾「正気塾」では、「昭和の三四郎」と称された東京五輪金メダルの岡野功さん(77)の下で、1日9時間を超える稽古に励んだ。

 1メートル90の巨漢は磨かれるたびに輝きを増し、20歳代半ばになると、多士済々の柔道界で、ひときわ存在感を放つようになった。柔道家としては遅咲きだったが、3年前に名誉段位である九段に昇段し、数少ない赤帯の保有者になった。「諦めず一つのことに打ち込めば、可能性は開ける」。柔道で得た人生訓は、今も胸に宿っている。

 〈プロフィル〉1946年、福岡市生まれ。天理大を卒業後、正気塾を経て72年に福岡県警に採用された。73年の世界選手権無差別で優勝。76年のモントリオール五輪では、軽重量級で金メダルに輝いた。福岡県柔道協会理事長、九州柔道協会副会長を務める。

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2506211 0 道あり 2021/11/09 05:00:00 2021/11/26 08:52:14 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/11/20211109-OYTAI50002-T.jpg?type=thumbnail

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