[道あり]日本知的障がい者陸上競技連盟強化責任者 奥松美恵子さん<4>養護学校に陸上部発足

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 特別支援学級を受け持った宮崎市立宮崎中から、36歳の時に宮崎県綾町立綾中に移った。自宅がある宮崎市からは片道20キロ。剣道部の顧問になり、指導を終えて自宅近くの保育園に子どもを迎えに行く頃には、午後7時を回っていることが多かった。

 仕事と子育ての両立のため部活動のない支援学校での勤務を希望し、2001年、県立宮崎養護学校(現・みやざき中央支援学校)に異動となった。育児に時間をかけられるようになりほっとしたが、数年たって子育てが少しずつ落ちつくと、部活動のない生活に違和感も覚え始めた。

 同校には当時、全国障害者スポーツ大会に出場する選手もいた。やがて「一緒に練習したい」という生徒が現れ、「子どもたちのために日常的に活動できる場を」と03年、放課後活動の希望者を募った。こうした取り組みについて校内の会議などで報告すると、同僚から厳しい声を受けた。

 「子どもはスポーツをやりたいが、安全面の不安などを感じる保護者もいる」「教員の仕事が大変になる」。「あなたはすでにパンドラの箱を開けた。わかっていますか」とも言われた。

 「先生たちのこと何も考えていなかった」。反省しても、やめようとは思わなかった。放課後に週2回、生徒らと運動場を走ったり、球技をしたりした。

 生徒たちには変化が見えた。生徒同士であいさつをするようになり、授業中も集中力が続くようになった。校内の記録会を手伝ってくれる保護者も現れ、07年には正式に陸上部となった。09年11月には、高等部の男子部員で結成したチームが初めて県高校駅伝(7区間、42・195キロ)に出場し、普通校1校に勝って16位に入った。指導する自分も、次第に部活に熱中した。

 「子どもたちの変化はすごいなって。子どもたちがいつも私を動かしてくれる」と振り返る。

 当時同僚だった橋口裕子さん(43)は「『強くなったら大会に出る』というのが奥松さんの発想。迷うことなくそう語る姿に触れ、『障害者だから無理』と決めつけていた自分に気付かされた」と語る。

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