[道あり]佐賀北高野球部元監督 百崎敏克さん<7>選手信じて逆転劇、甲子園優勝

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 2004年、母校の佐賀北高の監督に就任した。同校の甲子園出場は00年夏の1回。選手には「一番大きな目標は甲子園優勝だ」と語り、野球日誌の提出と「靴をそろえること」を課した。「目の前のことをコツコツと続け、日々の歩みを確認してほしい」という意図だった。

[道あり]佐賀北高野球部元監督 百崎敏克さん<8> 教え子に監督をバトン
全国制覇を成し遂げて胴上げされる百崎さん(2007年8月)
全国制覇を成し遂げて胴上げされる百崎さん(2007年8月)

 力のある選手がそろった06年秋と07年春の県大会は早々に敗退し、采配や練習内容への不満も出た。それでも「厳しいトレーニングが夏を勝ち抜く体力と精神力を培う」との信念は曲げず、野球日誌では「不満を言うなら結果を出せ」と奮起を促した。開幕直前まで冬場のような猛練習を続けた07年夏、県大会を突破した。

 甲子園では開幕戦で登場して勝利し、次戦は延長十五回引き分け再試合の激戦を制した。準々決勝は、優勝候補の帝京(東東京)。個々の能力差はあっても、選手たちは臆さなかった。相手投手の140キロ超の球を打ち返し、延長十三回の末、サヨナラ勝ちした。

 「思うようにさせよう」と決めたのはこの時だ。チームは猛烈な勢いで成長していた。相手の意表をつこうと作戦にこだわるより、選手の判断を尊重してのびのびプレーさせたいと思った。

 決勝の広陵(広島県)戦は七回まで1安打に抑えられ、0―4。一方的な展開に「万事休す」という言葉がちらつき始めた八回、佐賀北の連続安打が空気を一変させた。球場を覆った声援と手拍子は、押し出し四球で1点をもぎ取ると、最高潮に。満塁の場面で、甲子園2本塁打の副島浩史選手が打席に立ち、誰もが息をのんだ。

 サインは送らなかった。「右中間に打ってタイムリーになれば」。そう願った。

 現在33歳の副島さんは、この時のことを「9割の客から応援されている気分。『絶対に打つ』と自信があった」と振り返る。

 異様な雰囲気の中、快音が響いた。「打った瞬間、文句なし。信頼していたが、まさかホームランとは」。大舞台で飛躍したチームをベンチで見つめ、胸がいっぱいになった。

 高校野球史に残る逆転劇。指導者となって27年、51歳でつかんだ頂点だった。

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