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[解藩知県]遺風<2>山口・岩国 長州と一線 独自の歴史

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 元日の午後、山口県岩国市の名勝・錦帯橋を望む河原に、火縄銃を担いだ甲冑(かっちゅう)姿の男女11人が並んだ。

 「放て!」

 ドン、ドンと銃声が響き、見物客から拍手が湧く。岩国藩鉄砲隊保存会による新春恒例の行事だ。

 岩国藩は毛利元就の孫、吉川(きっかわ)広家を初代とする外様中藩で、毛利家の長州藩の支藩にあたる。ところが保存会の村河多丸(たまる)会長(77)は、「山口県といえば長州とひとくくりにされますが、岩国人には長州ではない、という強い意識があるんです」と話す。1987年の会発足以来、国内外のイベントに出演しているのは「吉川家と岩国藩の誇りを伝えるため」と力を込める。

 そんな岩国人の意識の理由はよく「山口よりも広島に近いから」と説明されるが、関ヶ原の戦い(1600年)にさかのぼる歴史も影響しているという。西軍の毛利勢の中核だった広家は、徳川家康の東軍と内通して不戦を貫いた。広家としては「東軍勝利を見越して毛利家存続に尽くした」つもりだったが、戦後所領を大幅に削減された毛利家からは戦犯として恨まれた。この歴史認識の違いが続いているというのだ。

 高杉晋作、木戸孝允ら長州人が注目される明治維新でも、岩国では独自の人物が顕彰される。幕末の第1次長州征討のとき、幕府との講和にあたり長州藩を救った藩主吉川経幹(つねまさ)だ。市立博物館・岩国徴古(ちょうこ)館の松岡智訓(とものり)副館長(46)は、「岩国藩あってこその明治維新だったのです」と指摘する。

 藩の歴史を見直す動きは、2006年の市町村合併も一つの契機となった。旧岩国市を含む8市町村の合併で、市域は南の柳井市と東の和木町を除いて旧藩のエリアを回復した。岩国への編入でなく新設(対等)合併だったが、市名は旧郡名の玖珂(くが)ではなく、公募の半数を占めた岩国となった。

 新市に愛着を持ってもらおうと、徴古館は16~18年、維新150年に合わせて岩国の立場から明治維新を紹介する漫画やDVDを作成し、市内の小・中学校に配布した。来年には市民有志が、吉川屋敷跡などがある吉香公園に、広家の銅像をたてる計画も進んでいる。

 松岡さんは、「激動の時代に重要な役割を果たした吉川広家や経幹は、分断し混迷する今の時代のリーダー像としても参考になる。地域の人たちに誇りを持ってもらいたい」と話している。(堀美緒)

 〈岩国藩〉岩国を拠点に現在の山口県東部を治めた。幕末の石高(土地の生産高)は約8万石。岩国城は1615年の一国一城令で解体され、現在の天守は1962年の復元。錦帯橋は17世紀後半の建設以来架け替えを重ねる。

=2021年1月30日 読売新聞文化面(西部本社版)掲載=

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2184047 0 解藩知県第1部遺風 2021/07/06 18:09:00 2021/07/06 18:09:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210706-OYTAI50037-T.jpg?type=thumbnail

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