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[解藩知県]遺風<3>大分・鶴崎 飛び地に残る清正信仰

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 大分市中心から東に約8キロ、大野川の河口左岸にある鶴崎地区の剣(けん)八幡宮。拝殿にかかる寛政10年(1798年)の絵馬に、港に入る何十隻もの船が描かれている。帆や陣幕に施された九曜紋は、熊本藩の藩主細川家の家紋だ。

「入港を見物する住民も描かれています」と絵馬を指す野村理事長(大分市東鶴崎の剣八幡宮で)
「入港を見物する住民も描かれています」と絵馬を指す野村理事長(大分市東鶴崎の剣八幡宮で)

 戦後臨海工業地帯として発展した鶴崎は、江戸時代には熊本藩の港町。絵馬は参勤交代から戻った船団を描いたものだ。関ヶ原の戦いで肥後国(熊本県)を得た加藤清正はキリシタンが多い天草諸島の支配を望まず、豊後国(大分県)の一部との交換を幕府に願い出た。鶴崎や野津原(のつはる)、そして関あじ・関さばで知られる佐賀関(さがのせき)などが熊本領となり、加藤家が2代で領地没収となった後は、後継藩主の細川家に引き継がれた。

 「大分といえば(戦国大名)大友宗麟(そうりん)のイメージがあるかもしれませんが」。案内してくれた鶴崎文化研究会の野村広幸理事長(82)が続けた。「私たちにとって殿様は、鶴崎を港町として大きく発展させてくれた清正公(せいしょうこう)や細川さんです」

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2184077 0 解藩知県第1部遺風 2021/07/06 18:19:00 2021/07/06 18:19:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210706-OYTAI50041-T.jpg?type=thumbnail

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