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[解藩知県]遺風<4>北九州市 東西で異なる旧藩

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 北九州市八幡東区の住宅街に「従是西(これよりにし)筑前国」と刻む高さ3メートルを超える石碑が残っている。江戸時代後期の天保5年(1834年)、豊前国と筑前国の境を示すため設けられた「三条の国境石」だ。

旧福岡藩と旧小倉藩の境界に立つ国境石。「この碑は福岡藩が設置したものです」と金丸さん(北九州市八幡東区で)
旧福岡藩と旧小倉藩の境界に立つ国境石。「この碑は福岡藩が設置したものです」と金丸さん(北九州市八幡東区で)

 古代の地方行政単位「国」は近世には実態はなかったが、市内には移転されたものを含め13基の国境石が現存する。国境石を研究している金丸房男さん(74)は、「国境を示す必要があったのは、そこが緊張関係にあった福岡藩と小倉藩との境でもあったからです」と語った。

 1963年に発足した北九州市は、01年の官営八幡製鉄所の操業以来、北九州工業地帯として発展してきた5市の合併で誕生し、九州初の政令市となった。一つの都市でありながらほぼ東の3区が小倉藩、西の4区が福岡藩と旧藩で二分される珍しい例だ。

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2184096 0 解藩知県第1部遺風 2021/07/06 18:24:00 2021/07/06 18:52:01 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210706-OYTAI50044-T.jpg?type=thumbnail

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