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[解藩知県]遺風<7>佐賀市 「公に尽くす」葉隠の心 今も

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 佐賀市街から北に約7キロ、金立(きんりゅう)山の麓に「常朝(じょうちょう)先生垂訓(すいくん)碑」と刻む碑が立っている。佐賀藩の元藩士、山本常朝(1659~1719年)が藩の歴史や武士の心得を説いた地に、昭和10年(1935年)に建てられた。この口述を筆記したのが「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」の一節で知られる「葉隠」だ。

「葉隠発祥の地」として佐賀市史跡となっている垂訓碑(佐賀市金立町で)=貞末ヒトミ撮影
「葉隠発祥の地」として佐賀市史跡となっている垂訓碑(佐賀市金立町で)=貞末ヒトミ撮影

 満州事変から敗戦に至る昭和の軍国主義の時代、「葉隠精神」は佐賀が誇る遺風として称賛されていた。「武士道といふは――」の教えは「国のために命をささげること」と解され、やがては特攻作戦や戦死を美化する論理に利用された。戦後はその反動から、長く敬遠されてきた。

 しかし、地元の葉隠研究会の会長、中野啓さん(77)は、「葉隠は『我れ人、生きる方が好きなり』とも書いており、決して死を勧めているのではありません」と強調する。

 「いざという時に判断を誤らないための日頃の覚悟、私心を捨て公に尽くす心が説かれているのです」

 実のところ、葉隠が説く「公に尽くす心」は、現代の佐賀県民にも受け継がれているようだ。例えば人口1000人あたりの消防団員数は全国一の22・6人。全国平均(6・5人)の3倍超に達する。ボランティア活動者の比率も全国5位を誇る(2020年版「統計からみた佐賀県」)。

 県内各地では、地域単位で住民が参加する草刈りや清掃活動が続けられており、藩政時代の「公役(くやく)」という名で呼ばれている。佐賀城本丸歴史館の藤井祐介学芸員は、「自身の領地を懸命に守るという戦国時代から続く佐賀藩士の気風が、真面目さ、質実といった県民性に通じているのかも知れません」と指摘する。

 2016年の葉隠完成300年を機会に、葉隠の再評価が進んでいる。佐賀市教育委員会は同年、郷土の偉人をまとめた小学生向けの副読本を発行し、「(常朝は)一生懸命であることの大切さを学びました」と紹介した。垂訓碑近くの市立金立小では、地元ゆかりのカルタを通じて葉隠を学んでいる。

 県も18年度から、毎月の広報紙で葉隠の一節を紹介している。「一念一念と重ねて一生也(なり)」「何事も願ひさへすれば願ひ出す(かなう)もの也」といった教えには、「励まされる言葉が多い」といった反響があるという。「生きる教訓が学べる書」としても人気があるようだ。(若林圭輔)

 〈佐賀藩〉肥前国(佐賀、長崎県)の有明海側を治めた外様大藩。戦国大名龍造寺家の重臣・鍋島家が豊臣政権下で実権を握り、主家の断絶後正式に藩主となった。石高は3支藩を含めて35.7万石。幕末に軍備の近代化を進め、戊辰(ぼしん)戦争では新政府軍の中核となった。

=2021年3月6日 読売新聞文化面(西部本社版)掲載=

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2184157 0 解藩知県第1部遺風 2021/07/06 18:54:00 2021/07/06 19:22:22 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210706-OYTAI50050-T.jpg?type=thumbnail

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