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[解藩知県]遺風<9>熊本・天草 復興の恩人「鈴木さま」

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 熊本県苓北町・都呂々(とろろ)は天草灘に面した半農半漁の集落だ。漁港近くの道路脇に「鈴木さま」が鎮座していた。

「鈴木三公」が浮き彫りされている都呂々の鈴木さま(熊本県苓北町で)
「鈴木三公」が浮き彫りされている都呂々の鈴木さま(熊本県苓北町で)

 それは三つの座像を浮き彫りした石塔だった。「ちょんまげがある両脇が重成(しげなり)公と重辰(しげとき)公、まん中が正三(しょうさん)和尚でしょう」。地元で陶石業を営む木山勝彦さん(76)が語った。正面には「鈴木大明神」、側面には「寛政六寅年」(1794年)という江戸時代中期の年号が刻まれている。

 キリシタン農民が蜂起した天草・島原の乱(1637~38年)後に幕府領(天領)となった天草諸島。鈴木さまはこの幕府領天草で生まれた独自の神で、初代代官の鈴木重成、その養子の2代重辰、重辰の実父で重成の兄である僧・正三を祭る。35か所の祠(ほこら)や社(やしろ)が知られており、天草市本町(ほんまち)には総本社というべき鈴木神社がある。

天草市本町の鈴木神社
天草市本町の鈴木神社

 「代官といえば時代劇では悪役で描かれますが」。同社の田口孝雄宮司(78)が続けた。「鈴木三公は天草復興の恩人として、現在も島民に語り継がれています」。三河(愛知県)出身の重成は1641年、54歳で天草代官に就任した。乱で荒廃した農村を移民の奨励と年貢の減免により再建するとともに、兄正三を招いて寺社を復興した。

 続く重辰は検地を行い、年貢算定の基準となる天草の石高(土地の生産高)を3万7000石から実情に即した2万1000石に削減した。この恒久減税は「石高半減」と顕彰され、3人合わせて神として祭られるようになった。やがて初代重成が幕府に石高半減を直訴して自刃したと語られるようになった。

 各地の鈴木さまでは、重成の命日10月15日前後にしめ縄を飾り神酒を供える祭りが行われている。鈴木神社では11月23日の顕彰祭に合わせて集落あげての本町ふるさとまつりも催され、子ども神輿(みこし)や天領音頭が披露される。

 天草市立天草キリシタン館の平田豊弘館長(64)は、信仰の背景に石高削減以外の理由があった可能性を指摘する。かつて多数のキリシタンがいた村や、乱後も潜伏キリシタンが存続した村に鈴木さまが多いからだ。「重成は復興にあたり乱に関係したキリシタンの罪を問わなかったふしがある。そんな仁政への感謝の念を表したものではないか」

 天草ではその後も潜伏キリシタンの探索がゆるやかで、明治のカトリックへの復帰につながったことで知られる。鈴木さまの余徳というべきかもしれない。(池田和正)

 〈幕府領天草〉肥後国天草郡(熊本県天草市、上天草市、苓北町)を管轄する。富岡(苓北町)に代官所が置かれた。当初は専任の代官が派遣されたが、18世紀以降は長崎代官や日田郡代、島原藩主が兼務した。外国船を警戒する遠見番所も置かれた。

=2021年3月20日 読売新聞文化面(西部本社版)掲載=

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2184199 0 解藩知県第1部遺風 2021/07/06 19:05:00 2021/07/06 19:05:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210706-OYTAI50053-T.jpg?type=thumbnail

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