読売新聞オンライン

メニュー

ニュース

動画

写真

スポーツ

コラム・連載・解説

発言小町

漫画

教育・受験・就活

調査研究

紙面ビューアー

その他

サービス

読売新聞のメディア

購読のお申し込み

読売新聞オンラインについて

公式SNSアカウント

[解藩知県]再編の余波<1>九州の中心 大転機

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

 1871年(明治4年)の廃藩置県とその後の再編で九州・山口には8県が確定した。連載「解藩知県」第2部では、県誕生に伴い起こったさまざまなトピックを紹介する。まずは九州の中心を巡る熊本と福岡の綱引きについて――。(北村真、池田和正)

「赤門」と親しまれる旧制第五高等学校の正門。旧本館(五高記念館)とともに重要文化財に指定されている(熊本市で)=木佐貫冬星撮影
「赤門」と親しまれる旧制第五高等学校の正門。旧本館(五高記念館)とともに重要文化財に指定されている(熊本市で)=木佐貫冬星撮影

熊本 鎮西鎮台配備で脱皮

 熊本市の熊本大学黒髪北地区。1889年(明治22年)に築かれた「五高(ごこう)」の正門は、同じくレンガ造の旧本館とともに今も大勢の学生を迎えている。

 1950年までこの地にあった旧制第五高等学校は、小泉八雲や夏目漱石が教壇に立ったことでも知られる。「旧制高校の中でも、校名に数字を持つ全国8か所のナンバースクールの一つとして全国から優秀な若者が集まりました」と五高記念館の藤本秀子研究員。卒業生の多くは帝国大学に進学し、池田勇人と佐藤栄作は首相として戦後の高度経済成長をリードした。

 一城下町だった熊本が九州の中核都市へと脱皮するきっかけは、廃藩置県直後の鎮西鎮台(後の第六師団)の配備だ。地理的に九州の中心である優位性は陸軍の駐屯だけでなく、五高の誘致にもつながった。

 やがて通信を監督する逓信(ていしん)局、煙草(たばこ)の専売局など中央官庁の出先機関も置かれ軍都かつ学生、役人の町として発展していく。九州初の電灯会社やラジオ放送局は、第六師団や逓信局との関係で熊本に誕生した。

 猪飼隆明・大阪大名誉教授(日本近代史)は、明治中、後期に熊本で生まれた企業や学校に「九州」を冠したものが目立つことに注目する。九州日日新聞と九州新聞(ともに熊本日日新聞の前身)、九州商業銀行(肥後銀行の前身)、九州学院……。「当時の九州は熊本が背負っていた。鎮西でなく九州と名乗ったのは『うちは西ではない』という、中央に対する主張もうかがうことができます」

福岡 九大誘致 発展が加速

 ところが明治後期になると、国内最大の筑豊炭田を背景に重工業化を進めた福岡県が急速に台頭する。県庁所在地・福岡が熊本を逆転する転機となったのが、九州帝国大(現・九州大)の誘致合戦での勝利だ。

 政府の構想が公になった1899年当初は、五高がある熊本が有利とみられていた。このため誘致運動が鈍かった熊本に対し、福岡は県や福岡市、新聞社、地元政財界が一体で運動を展開。県会(県議会)は25万円の支出と土地、県立福岡病院の寄付を決議し、周辺の土地買収もまとめて1901年、前身となる医科大学の誘致に成功した。

 これに慌てた熊本側は県会が30万円と土地の提供、県立熊本病院の寄付を議決して対抗し、九州日日新聞は福岡の運動を<我田引水><横奪(横取り)>と批判したがくつがえせなかった。当時の雑誌は熊本の敗北を<油断大敵にて聊(いささ)か自惚(うぬぼ)れに失し>と論評している。

 03年に開学した福岡医科大は11年、工科大を合わせて名実ともに九州帝大となった。福岡市博物館の有馬学総館長(日本近代史)は、「知的、文化的人材が集まり、都市としての厚みも増したことで、その後の福岡は政治・文化の中心になり得た」と強調する。

 日本の大陸進出が本格化すると、大陸に近い交通の結節点である福岡の優位性が際立ってくる。昭和初期にかけては博覧会がたびたび催され、市街地の拡大や交通網や港湾などのインフラ整備も進んだ。こうして27年の東亜勧業博覧会の際、時実秋穂市長は「福岡市は西日本の中心都市」と自信を見せている。

残り:701文字/全文:2296文字
読者会員限定記事です
新規登録ですぐ読む(読売新聞ご購読の方)
無断転載・複製を禁じます
スクラップは会員限定です

使い方
2203297 0 解藩知県第2部再編の余波 2021/07/13 19:00:00 2021/08/04 07:45:14 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210712-OYTAI50007-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)