【動画】[沖縄文化の今]<3>沖縄民謡 歌い継ぐ「人々の魂」…生活と共に時代を表現

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 歌の島ともいわれる沖縄で、老若男女に親しまれているのが民謡だ。朗々とした 三線さんしん の音に乗せて、今も新作が生み出されている。(北川洋平)

古琉球、本土と密接…九博で特別展「琉球」 9月4日まで
民謡酒場「なんた浜」は嘉手苅林昌ら名手たちが歌った老舗。オーナーの饒辺愛子さん(中央)もステージに立つ(沖縄県沖縄市で)=木佐貫冬星撮影
民謡酒場「なんた浜」は嘉手苅林昌ら名手たちが歌った老舗。オーナーの饒辺愛子さん(中央)もステージに立つ(沖縄県沖縄市で)=木佐貫冬星撮影

 沖縄市の繁華街・コザの一角にある「なんた浜」は、半世紀の歴史をもつ民謡酒場だ。ステージでは実力派の歌い手たちが三線を鳴らしながら、「 とぅしんま い なす くとぅうふ さ――」と歌っていた。

 沖縄民謡界の大御所だった 登川誠仁のぼりかわせいじん (1932~2013年)の持ち歌だった民謡「油断しるな」。時の流れの早さを馬の駆け足に例え、なすべきことは多いので、明日があると思って油断するなと説く。客も三線に合わせて手をたたき、「ハイヤ、ハイ、ハイ」と合いの手を打つ。

 民謡酒場で必ず歌われる「 安里屋あさどや ユンタ」、結婚式などの祝いの場でカチャーシーの踊りとともに欠かせない「 唐船とうしん ドーイ」など、民謡は沖縄の人々の生活とともにある。オーナーのベテラン歌手 饒辺よへん 愛子さん(80)は、「民謡は民の歌。暮らしの中から生まれ、生き方も教えてくれる大切な文化です」と語った。

 沖縄民謡は、若者が浜辺などで歌や踊りを楽しむ 毛遊もーあし びや村芝居から生まれた。「ド・ミ・ファ・ソ・シ・ド」の琉球音階の旋律は、聴けば沖縄民謡とすぐ理解できるもので、歌詞の詩形は王国時代にさかのぼる短歌「琉歌」の八・八・八・六音であることが多い。宮古諸島や八重山諸島にも独自の民謡がある。

 沖縄県立芸術大の金城厚名誉教授(民族音楽学)によれば、三線を弾きながら歌うスタイルが庶民に定着したのは意外に新しく、沖縄県設置後の19世紀末のことだ。「個性豊かな沖縄音楽の根底には、歌や踊りによる表現を愛した人々の豊かな精神性がある」

 1945年の沖縄戦で、本島南部は焼け野原と化した。米国統治下となった沖縄で、傷ついた人々の心を癒やしたのは、捕虜収容所などで歌われ、後にラジオから流れた民謡だった。戦後家族で大阪からコザに移った饒辺さんも、子供の頃ラジオから、戦争のむなしさを<なつかしや 沖縄うちなー   戦場いくさば になやい>と歌う「 屋嘉やか 節」が流れていたことを記憶している。

  嘉手苅かでかる林昌りんしょう や登川誠仁、知名 定繁ていはん 、喜納昌永らの歌い手が地場レーベルから次々と曲を発表した。饒辺さんも喜納に師事して60年代にデビュー。親の尊さを伝える「てぃんさぐぬ花」は、子供の頃から大切に歌い続けている。

 72年の復帰前後に沖縄民謡は本土の注目も集めた。ルポライター竹中労が熱心に紹介し、74、75年には東京や大阪などで音楽祭「琉球フェスティバル」が催された。石垣島出身で八重山民謡の第一人者、大工哲弘さん(73)(那覇市)=写真=もこの祭典に出演した。「言葉の壁もまだあった時代。その中で本土の舞台に立てたことは、沖縄民謡の大きな出発点となった」

 民謡と洋楽が融合した新しい音楽も生まれた。喜納昌永を父に持つ喜納昌吉さんをはじめ、ネーネーズ、りんけんバンドなどが相次いでデビューした。近年もBEGIN、夏川りみさんら民謡を音楽性の核に置くアーティストが活躍している。

 大工さんも「とぅばらーま」「つぅんだら節」といった八重山古謡を歌い継ぎながら、民謡を独自のバンドサウンドでも表現してきた。「民謡は絶えず新たな風も取り入れることで、自分たちの生きる時代を表現してきた。苦しきにつれ、楽しきにつれ、脈々と生まれ続けてきた民謡は人々の魂。これからも失われることはない」と語った。

「鼓動とシンクロ心地いい」 音楽家・宮沢和史さん

 本土のバンド「THE BOOM」(2014年解散)の代表曲「島唄」(1992年)は、沖縄民謡をこの名称で広めるきっかけとなり、国内外で歌い継がれている。ボーカルで作詞・作曲を手がけた宮沢和史さん=写真=(山梨県出身)に、沖縄民謡の魅力を聞いた。

 1989年のデビュー直後から沖縄民謡を本格的に聴くようになり、「これだ」と思いました。大きなサビがあるのではなく、短いフレーズが丹念に繰り返される音楽には、鼓動とシンクロするような心地よさがあった。歌の内容も、その時々の庶民の思いが島言葉で自然な形で表現され、現代の私たちの感覚にも近いと感じました。いつ、どこで聴いても合うんです。

 沖縄を訪ねると、想像以上に戦争の爪痕が残っていた。私自身、沖縄戦を深く知らなかった。ひめゆり平和祈念資料館(糸満市)を訪ね、平和を祈る曲として作ったのが「島唄」。〈このまま 永遠とわ夕凪ゆうなぎ を〉。表向きは男女の出会いと別れの詞ですが、沖縄戦についての意味も持たせ、ダブルミーニングにしています。

 沖縄は第二の古里だと思っています。三線に使われる 黒檀くるち の木を植樹するプロジェクトや、現代の唄者の弾き語りを録音する取り組みに携わってきました。100年先も民謡、そして沖縄芸能全体が発展し続けてほしいと願っています。(談)

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3132449 0 沖縄文化の今 2022/07/02 05:00:00 2022/07/02 11:19:06 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/07/20220701-OYTAI50024-T.jpg?type=thumbnail

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