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宮森小の悲劇つなぐ NPO資料館 来年開設へ[沖縄から]

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 沖縄県旧石川市(現・うるま市)で1959年に起きた宮森小学校米軍ジェット機墜落事故を語り継ぐNPO法人「石川・宮森630会」が、沖縄の本土復帰50年の来年に資料館を開設する準備を進めている。米統治下で児童ら17人の命が失われた悲劇。卒業生らは「本土復帰運動が盛り上がる契機となった事故を後世に伝える拠点に」と願う。(島田愛美、今村知寛)

事故の慰霊碑の前で手を合わせる當眞さん(6月19日、沖縄県うるま市の宮森小で)
事故の慰霊碑の前で手を合わせる當眞さん(6月19日、沖縄県うるま市の宮森小で)

奪われた記憶

 男児の右後頭部には、直径8センチの生々しい半円状の傷が刻まれていた。大破した機体の破片が直撃し、陥没した頭蓋骨の手術痕だ。

 「頭を縫った時の激痛は覚えている」。6月下旬、当時3年生だった 當眞嗣孝とうましこう さん(71)は、630会事務局で自身が写った写真を見返し、つぶやいた。

 事故前の記憶は大部分が失われ、読み書きもできなくなった。私立高校に入学できたが、教科書も理解しきれないまま卒業した。それでも眼鏡店に就職し、独立した店を軌道に乗せた。

米公文書館で見つかった當眞さんの後頭部の写真=石川・宮森630会提供
米公文書館で見つかった當眞さんの後頭部の写真=石川・宮森630会提供

 写真は米国民政府の医療報告書の一部だ。それによると、當眞さんは2か月で退院し、記憶力や集中力の低下など後遺症がみられたが、治療は行われなかった。賠償額が後遺症を考慮しないまま決まったことも分かり、「治療や賠償が適切だったのかどうか、今でも疑問に思う」と話す。

米国でも資料収集

 2010年に事故時の在校生らが中心になって発足した630会は、遺族らに聞き取りを行い、証言集作成や講話を続けてきた。資料収集にも力を入れ、17年には米国立公文書館で複写した米国民政府の文書約2500枚を入手。當眞さんら重傷者32人の医療報告書や事故報告書、賠償関連資料の翻訳を進めている。

 集めた資料は、県公文書館の資料や個人寄贈の遺品なども含め約3000点。 久高くだか 政治会長(73)は「米軍により情報が規制された事故。私たちには証言や資料をつないで実像を浮かび上がらせ、後世に伝える責任がある」と力を込める。

 会は昨年12月、同小敷地内にあり、今年度末に廃園となる宮森幼稚園の一部を資料館として活用するよう市に求める陳情を市議会に行い、採択された。市教委が検討中で、順調にいけば来年開館できる見込みだ。

 久高会長も当時の5年生。校庭で遊んでいると 轟音ごうおん が鳴り響き、何が起きたか分からないまま逃げて無事だった。だが、2年生だった めい は校舎の焼け跡から見つかった。

 62年たっても低空飛行の米軍機を見ると身がすくむ。「今も変わらず学校上空を米軍機が飛び、子どもたちの安全が脅かされていることを若い世代や本土の人に知ってほしい」と願う。

後の初代知事奔走

 戦前教師を務め、復帰後初の知事となる 屋良朝苗やらちょうびょう (1902~97年)の秘書を務めた石川元平さん(83)によると、事故当時、沖縄教職員会会長だった屋良は米軍の規制線を越え敷地内に入り、情報開示を訴えたという。事故を機に本土復帰を求める機運は高まり、1960年4月、屋良主導で県祖国復帰協議会が発足。県民は「本土並み」に基地が縮小されることを期待し、島ぐるみで運動を進めた。

 だが、復帰後も米軍基地は沖縄に集中し、米軍機の事故が相次ぐ。2004年の沖縄国際大への米軍ヘリ墜落事故で、石川さんは宜野湾市長とともに現地へ向かったが、日米地位協定の規定に基づき規制線内には立ち入れなかった。

 石川さんは言う。「復帰から半世紀たっても続く基地負担を国民が理解するためにも、宮森小など過去の事故の継承が必要だ」

米軍機事故後絶たず

 地上戦を経た沖縄では米軍が土地を接収し、基地が建設された。安全保障上の重要性を持つ一方、米軍機の事故は後を絶たない。

 読谷村では1965年、米軍機が落下させたトレーラーが民家の庭先に落ち、小5女児が犠牲に。同村では50年にも燃料タンクの落下で少女が死亡した。72年の本土復帰後は基地返還が徐々に進んだが、現在も全国の米軍専用施設の7割が集中。2004年の沖縄国際大ヘリ墜落事故の後も、不時着や部品落下が相次ぐ。県によると、米軍機の事故は復帰後49年間で、墜落49件、部品等落下75件など計848件に上る。

宮森小学校米軍ジェット機墜落事故  1959年6月30日午前10時40分頃、嘉手納基地を飛び立ったF100戦闘機が民家を巻き込みながら同校舎に突っ込んだ。児童11人を含む17人が死亡、約210人が重軽傷を負った。パイロットは脱出して無事。事故原因は整備不良だった。

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2227206 0 ニュース 2021/07/22 05:00:00 2021/07/22 05:00:00 2021/07/22 05:00:00 米軍機墜落事故の犠牲者を弔う慰霊碑の前で手を合わせる當眞さん(19日午後3時52分、沖縄県うるま市の宮森小学校で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210722-OYTNI50003-T.jpg?type=thumbnail

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