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福岡・嘉麻市の100歳、「戦争とは」伝えたい…毎日の爆撃に「敗戦確信した」

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 福岡県嘉麻市では15日、「あの戦争がなんだったかを伝えたい」と願う100歳の元海軍輸送兵、坂本弘之さんが自宅で静かに戦没者の 冥福めいふく を祈った。

「100歳になっても、子どもたちに体験を伝えたい」と話す坂本弘之さん(福岡県嘉麻市で)=久保敏郎撮影
「100歳になっても、子どもたちに体験を伝えたい」と話す坂本弘之さん(福岡県嘉麻市で)=久保敏郎撮影

 20歳で徴兵検査を受け、1942年に海軍佐世保海兵団へ。軍艦で中国・揚子江の警備に当たった。船から大砲を撃って陸軍を支援するのが主な任務。米軍機の急襲を受け、弾の間をすり抜けるように船首に身を潜めたこともあった。

 43年には行き先も知らされないまま、佐世保から2500キロ離れた南シナ海の海南島へ送られた。輸送兵として燃料や武器などをトラックで運ぶ任務についたが毎日のように敵の爆撃を受けた。

 「戦地での生死には、運命がついてまわると感じた」

 その頃毎晩、暗号室で同年代の兵士とともにこっそり日本語のラジオ放送を聞いていた。「白旗揚げて出てきなさい」という連合国側の呼びかけだった。輸送任務で訪れる捕虜収容所では、米兵から「日本は負ける」と聞いた。

 毎日のように攻撃を受ける船や飛行場を見て に落ちた。「口に出すことは許されない時代。でも敗戦は確信していた」。復員してからは故郷で炭坑や農業で生計を立てたが、悲惨な光景を忘れたことはなかった。

 20年ほど前、自宅敷地内に当時の写真や自らが戦地に持って行った水筒など約100点を展示する私設資料館を作った。近隣の小学校の児童らが訪れた際には「復員後、本土も空襲を受け、兵士だけでなく子どもも犠牲になったと知った。戦争とは弾の撃ち合いだけではない」と伝えている。

 厚生労働省によると、太平洋戦争中に動員された日本軍の軍人・軍属は約789万人で、約230万人が戦死した。総務省によると、恩給を受けているのはピーク時の139万人から今年3月末には約6000人に。平均年齢は99・4歳となった。

 坂本さんは「100歳を超え、いつまで伝えられるかはわからないが、未来を担う子どもたちに体験を伝え残すことが生きがいの一つです」と話す。

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2288232 0 ニュース 2021/08/16 15:00:00 2021/08/16 15:00:00 2021/08/16 15:00:00 従軍したときの体験談を話す坂本弘之さん(8月14日午後2時10分、福岡県嘉麻市下臼井で)=久保敏郎撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/08/20210816-OYTNI50000-T.jpg?type=thumbnail

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