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終戦の日、特攻で戦死したと思われていた熊本県出身の当時18歳の少年が、千葉県上空で敵機と交戦した結果、戦死していたことがわかった。きっかけは、千葉県警から求められた遺骨のDNA鑑定への協力依頼だった。DNAは先月、別人のものとわかったが、遺族はその過程で少年の最期を示す資料の存在を知った。「遺骨はまだ見つかってないけれど、真実がわかって良かった」。遺族は前向きに捉えている。(松尾真里那)
少年は熊本県御船町出身の増岡寅雄・1等飛行兵曹(当時18歳)。76年前、千葉県茂原市の茂原海軍航空基地から零戦で飛び立ち、消息を絶った。遺族は「終戦の日に特攻して死亡した」と聞かされていた。
「我今より任地に向ふ、狂喜の余り身の置所を知らず思ひ残す事無し。只々国の為に散るのみ」。兄の健一さん(故人)が保管していた増岡さんの手紙には、赴任時の心情がこうつづられていた。それだけに、おいの藤田鉄平さん(69)(福岡市)は「終戦の日に特攻で亡くなるなんて、無念だったのではないか」と思い続けていた。
そんな中、今年2月に千葉県警から連絡があった。房総半島にある千葉県大多喜町で見つかった零戦の残骸近くにあった遺骨について、DNA鑑定を行うための協力依頼だった。
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