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真珠湾攻撃と同日「コタバル上陸作戦」部隊の元兵士、過酷な体験を絵や文章で残す

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 太平洋戦争の開戦から8日で80年。真珠湾攻撃の約1時間前、英領マレー半島を奇襲する コタバル上陸作戦 を実行した陸軍の部隊があった。中心となったのは福岡県久留米市の歩兵第56連隊で、ビルマ(現ミャンマー)などに転戦して多数が命を落とした。生き延びた元兵士の多くが鬼籍に入ったが、過酷な体験を絵や文章で残した人もいる。遺作に触れた家族は、平和の大切さをかみしめている。(後田ひろえ、出水翔太朗)

ビルマ転戦の父 惨状絵に

 「温厚だった父がどんな気持ちで戦争をしていたのかと思うと、胸が痛みます」

 北九州市八幡東区の藤吉敬司さん(68)が自宅でモノクロの水彩画を見つめ、つぶやいた。上陸作戦に参加し、昨年6月に96歳で亡くなった静香さんは、同連隊が大打撃を受けたビルマの戦場を描き続けた。 苦悶くもん の表情で倒れる兵士の脇には、手書きの説明文が記されている。

藤吉静香さんが描いた絵画を手に父の思い出を語る敬司さん(1日、北九州市八幡東区で)=中山浩次撮影
藤吉静香さんが描いた絵画を手に父の思い出を語る敬司さん(1日、北九州市八幡東区で)=中山浩次撮影
       藤吉静香さん
       藤吉静香さん

 <機関銃中隊が不運にも空爆され、 折角せっかく の機関銃は、今 まで 健在だった兵士もろとも吹き飛ばされ(中略) 流石さすが の九州男子も、次第に後退せざるを得なかった>

 静香さんは17歳で陸軍に志願。手記によると、初の実戦がコタバル上陸作戦だった。波打ち際で海につかったまま砲弾と機銃掃射の中を「 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ 」と唱えながら進んだ。敵の砲撃がやむと、砂地を蹴って一気に上陸した。

 ただ、静香さんは戦果を上げた作戦だけが大々的に報じられたことに疑問を抱いていた。趣味の絵画で描いた戦争はビルマ戦ばかり。画用紙に墨と白い絵の具で表現した。藤吉さんは「悲惨な場面を絵で残そうと考えたのだろう」と推し量る。

 陸上自衛隊などによると、同連隊はコタバル占領後、ビルマ侵攻の作戦に加わったが、戦局は悪化。補給も途絶える中で行軍を続け、多数の死者を出した。静香さんはビルマのジャングルで銃弾を浴びて左目を失明し、「戦争は絶対にいけない」が口癖だった。

 手りゅう弾を投げ合う様子、戦友の埋葬、遺体の間を縫うように撤退する兵士たち……。静香さんが描いた作品65枚は30年ほど前に福岡県に寄贈され、開戦80年の節目に家族が「もう一度見たい」と借り受けた。

 静香さんの絵に初めて接したひ孫の男の子(11)は「戦争のむごさが伝わってくる」と真剣な表情で見入った。

コタバル上陸作戦  日本時間の1941年12月8日午前2時15分頃、陸軍第25軍の「佗美(たくみ)支隊」が英領マレー半島のコタバルに奇襲上陸。日中戦争が泥沼化する中、米国が戦争に必要な資源の禁輸措置に踏み切ったことを受け、石油などを獲得する目的で東南アジアに進軍した。

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2579709 0 ニュース 2021/12/08 09:00:00 2021/12/08 14:36:12 2021/12/08 14:36:12 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/12/20211208-OYTNI50015-T-e1638941766751.jpg?type=thumbnail

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