弟の形見で九州豪雨の被災地写す

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仮設住宅で亡き弟について語る淋剛さん。弟・義秀さんの遺品のカメラで被災地の歩みを撮り続けている(6月27日、熊本県球磨村で)=佐伯文人撮影
仮設住宅で亡き弟について語る淋剛さん。弟・義秀さんの遺品のカメラで被災地の歩みを撮り続けている(6月27日、熊本県球磨村で)=佐伯文人撮影

 2020年7月の九州豪雨で自宅を失った熊本県球磨村の そそぎ 剛さん(85)が、水没を免れた弟の遺品のカメラで被災地の歩みを記録している。豪雨の1年前、弟の義秀さん(当時69歳)は仕事中の事故のため亡くなった。「一番大切な命と言えるこのカメラで、後世に役立つ写真を残したい」と淋さんは語る。(前田敏宏)

熊本・球磨村 流失した相良橋、利用者の姿がないJR渡駅のホーム、多くの作業員の手で建設が進む仮設住宅――。球磨川流域などに甚大な被害をもたらした九州豪雨後に撮影した数々の写真が淋さんの手元には残る。「村の歩みを残したい」と、仮設住宅を出て村内を巡っている。

 球磨村出身で7人きょうだいの長男。三男の義秀さんとは、写真が共通の趣味だった。弟に勧められて19年6月、「県シルバー作品展」に風景写真を応募した。受賞の知らせが届いたのは、弟の死亡後だった。「直接喜びを伝えたかったし、弟に認めてもらえる写真を撮りたかった」

 熊本市の臨時職員だった弟は19年7月5日、遺跡の発掘作業中に崩れた土砂の生き埋めとなった。突然の別れだった。

 命日を翌日に控えた20年7月4日早朝、村は豪雨に襲われた。淋地区の球磨川沿いにある木造平屋の自宅に水が流れ込んでリュックだけ持ち出し、2階建ての隣家に妻と避難した。同日夕、ヘリコプターで救助された。

 自宅は全壊し、愛用していた自分のカメラも、15歳から書き続けてきた70冊以上の日記帳も失った。ただ、弟の一眼レフのカメラは残った。命日に合わせ、生前の知人らが企画してくれた熊本市内での遺作展を訪れるため、偶然リュックに入れていたからだ。

 弟は日頃から、「目の前の出来事を記録することが大切だ」と意識しているようだった。熊本城の姿も撮り続け、それらの写真は熊本地震で被災した城の再建にも活用されている。地震後、城内のやぐらや石垣など約1万7000枚の提供を受けた熊本市熊本城調査研究センターの嘉村哲也さん(37)は「大変貴重。未来 永劫えいごう 引き継がれていく」と語る。

 淋さんは「記録」を重んじた弟の思いを継ぎ、古里の様子を撮影しようと決めた。仮設住宅に入居できた20年秋以降、レンズを向け続けている。

 まもなく弟の死から3年、豪雨から2年となる。自宅は村内の高台に造成される分譲地に再建するつもりだが、今も見通しは立たない。いつか豪雨の怖さや、被災地の歩みを伝える写真展を開きたいと考えている。

 「写真は自分次第でより良いものを撮ることができる。人生も一緒。どんな悲しみや苦境にあっても、前を向いて歩みたい」。弟に、前向きな姿を見てほしいと思う。

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