読売新聞オンライン

メニュー

ニュース

動画

写真

スポーツ

コラム・連載・解説

発言小町

漫画

教育・受験・就活

調査研究

紙面ビューアー

その他

サービス

読売新聞のメディア

購読のお申し込み

読売新聞オンラインについて

公式SNSアカウント

内館牧子さん・さとう宗幸さん、仙台の魅力を語る…対談〈上〉

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

We Love みちのくWe Love みちのく

 脚本家で作家の内館牧子さんが2003年、東北大の大学院生になったのを機に始まった読売新聞宮城県版の人気コラム「内館牧子の仙台だより」が20年9月に200回を迎えました。この記念に、宮城県の夕方の情報番組に毎日出演する“仙台の顔”、シンガー・ソングライターのさとう宗幸さんと、仙台の魅力について語り合っていただきました。東京に住む内館さん、仙台を拠点にするさとうさん、それぞれの視点から、仙台愛があふれ出る対談となりました。

※この対談は20年11月18日、読売新聞宮城県版に掲載した対談記事の詳報です。2回に分けてお届けします。

「内館牧子の仙台だより」200回を記念して、対談するさとう宗幸さん(左)と内館牧子さん(11月5日、仙台市青葉区で)=武藤要撮影
「内館牧子の仙台だより」200回を記念して、対談するさとう宗幸さん(左)と内館牧子さん(11月5日、仙台市青葉区で)=武藤要撮影

内館「広瀬川が見えるマンションないかしら?」

 さとう宗幸 内館さんが仙台の東北大にいらっしゃる前、お会いしましたね。東京だったか、どこだったか。

 内館牧子 東京だったと思います。何か仕事で。NHKかな。

 さとう その時に、「さとうさん、広瀬川が見える、マンションみたいなところないかしら」って言われたことがあったんですよ。僕、すごく気になって、探さなきゃいけないな、と思っていました。仙台に戻ったら、と。

 内館 まだ覚えていて下さったとは! 真剣にマンションを探していました。広瀬川が見えるところがよくって。何人か知ってる人が不動産屋さんを紹介してくれて、(マンションを)見たんですよ。そしたら、素晴らしいマンションだったんだけど、広瀬川がね。

 さとう 見えなかった?

仙台のまちなかを流れる広瀬川
仙台のまちなかを流れる広瀬川

 内館 見え方がね、ちょっと私のイメージと違った。広瀬川はこう流れなきゃいけないと。なきゃいけないと。

 さとう はっはっは。

 内館 「これ違うわー」って言ったら不動産屋さんが「どうして、こんないいのに」って。あの時、仙台に住む叔母も母も一緒にきたんです。2人とも「いいじゃない」って。「違う、私、窓から見える広瀬川の流れ方が、この角度は違う」って(笑)。それでやめたってことがあって。

「青葉城恋唄」の頃からずっと仙台

 内館 私とさとうさんは同じ学年なんですよ。びっくりしちゃって。今も(さとうさんの外見は)あまり変わらない。テレビやっていらっしゃるんでしょう。

 さとう いま月~金で(出ています)。日常の生活サイクルみたいなもので。地域の情報番組「OH!バンデス」です。午後3時50分から2時間。1995年からやっています。大変だったら25年もやっていられないですし、楽しみながらやっています。内館さんが東北大に行っていらっしゃる頃も、やってました。

 内館 そうでした。私、東北大出たのが2006年ですもの。さとうさんが東京に見切り付けて、仙台に住んでからどのくらいたつんですか。

 さとう デビュー曲の「青葉城恋唄」を出したばかりの頃は、もう(仙台でした)。新幹線もない頃でした。

 内館 あれ何年ですか。私レコード買いました。

 さとう 昭和53年。1978年ですね。片道4時間の上野まで行って、東京での仕事が終わって、特急に間に合わない時は、11時台の寝台列車で帰ってくるという。

 内館 寝台列車なんかあったんだ。今は日帰りですもんね

 さとう そうです、そうです。

 内館 それで、私ね、今まで人生でいろんな歌を聴いてきて、その中の、ベスト3に入るのは、「昔きいたシャンソン」(※青葉城恋唄のカップリング)。

 さとう いやいやいや、参ったなこりゃ。ありがとう。本当うれしいです。そういっていただくのは。

 内館 あんないい歌ない。

 さとう 敬愛する作詞家の阿久悠さんにお会いした時に、「いやー、さとうくん、『昔きいたシャンソン』はいい詞だった」と言われたのは、もう、すごいね……。あの通りの詞で、なんの変哲もない。それこそ一気に4分、5分で書き上げた詞でした。だから、思いのままに筆を走らせることができた。

 内館 「口笛が通りすぎる」って歌詞はすごい。あの1行。私は本当にあの曲が好きで、すぐね、さとう宗幸というとあれが浮かぶのね。

 さとう 日本のシャンソンシンガーの方も、レパートリーとして歌ってくださっています。

 さとう・むねゆき 1949年、岐阜県生まれ、宮城県育ち。78年、「青葉城恋唄」でデビューし、NHK紅白歌合戦に出場。ドラマ「2年B組仙八先生」に出演するなど、俳優としても活躍。95年からミヤギテレビの情報番組「OH!バンデス」に出演、夕方の顔としても知られる。
 さとう・むねゆき 1949年、岐阜県生まれ、宮城県育ち。78年、「青葉城恋唄」でデビューし、NHK紅白歌合戦に出場。ドラマ「2年B組仙八先生」に出演するなど、俳優としても活躍。95年からミヤギテレビの情報番組「OH!バンデス」に出演、夕方の顔としても知られる。

地方の時代、音楽やるなら仙台

 内館 「青葉城恋唄」の頃、仙台にいたんですね。

 さとう そうです。僕らの世代でしたらご存じかと思いますけれども、若い頃、歌声喫茶ってありましたよね。仙台にも歌声喫茶があって、学生の頃、歌声喫茶で歌声リーダーっていうのをやっていました。でも、学生の頃って流れがあって、周りが就職が決まっていくと、その流れの中で取り残されていくのは嫌だな、って。就職したんです。東京に。でも、歌声喫茶の音楽から離れれば離れるほど、音楽を忘れていくのかなと思ったら、逆で。1年満たずして、また音楽やっていくんだったら、仙台に戻ろう、って。仙台には歌声喫茶がありましたから、また戻ることができる。

 内館 でも、東京にだって歌声喫茶はありましたよね。それでもやっぱり仙台に?

 さとう そうですね。東京にある歌声喫茶よりも、仙台の、いままでやってたところに入りやすいっていうのもあったし。仙台に戻るんだったら、今後、音楽を続けていっても、東京に出ることはすまい。別に東京と無理やり対峙(たいじ)するわけじゃないですけれども、東京には出まいと。仙台で音楽活動をやっていこうと、漠然とした思いを心に決めて戻ってきたんですね。

 内館 私や宗幸さんの時代って、地方の大学に行くとか言うと、都落ちとか言われたでしょう。「あいつ都落ちだ」ってすぐ言うわけですよね。今と違って、地方の魅力って言うのは、そんなにわかってない時だったから。その時代にね、いくらふるさととはいっても、仙台で、ってすごい決心じゃなかったですか。

 さとう どうでしょうね。確かに、高校生の頃、東京に出たがるやつは多かったですよね、あの時代は。でも、(自分は)たいして、東京に大きな魅力は感じてなかったし、「青葉城恋唄」が出る2、3年くらい前から、東京でなければいけないっていう必要性を感じてなかったところはあったんです。

 内館 いまやっと、それにみんな気がつき始めました。東京じゃなきゃいけないっていうことはない。テレワークなんかもあるし。

 さとう 「青葉城恋唄」が出た時、東京の業界の人間の中には「じゃあ宗さん、東京に出てきた方がいろんな面で便宜上いいだろう」と言ってくれる方はいらっしゃったんですけど、昭和53年というのは、すごくターニングポイントでね。メディアがこぞって「地方の時代」って言ってたんですよ。5月に青葉城恋唄が出て、右肩上がりになっていく時、メディアが好意的に「ほらみろ、さとう宗幸も仙台にいる」って。昭和53年というのは、すごい追い風になってくれた年だったんですよね。

ゆっくり流れる時間、城下町の空気感

 内館 仙台で活動する上で、どこが一番魅力的だったんですか。

 さとう 街としては当時、50万から60万くらいの人口だったんですけど、そういう都会っていうのを感じさせない空気感が好きだったんですね。今のように高層ビルもない頃で。定禅寺通(じょうぜんじどおり)も青葉通も、やはり(もり)の都じゃないですけど、緑の多い街でしたし。コンサートで全国に行きますと、例えば福岡であったり、広島だったりに行くと、すごい都会感を抱くんですよ。都市型の高速道路が走っていたりする。仙台にまた戻ってくると、城下町が漂わせる空気感というのが、僕は好きだった。あと、僕自身のことでいうと、自分で曲を書く上で、創作活動というのは、どうしても東京とかではできなかったんですね。ホテルに缶詰め、というと聞こえはいいですが、とにかく今週中に楽曲をあげないとレコーディングに間に合わないなんて言われて、ホテルの窓から林立するビルを眺めながら、という中では、どうしても僕にはできなかった。

青葉城址から眺めた仙台の街並み
青葉城址から眺めた仙台の街並み

 内館 仙台に戻ってきたら、深呼吸するというか、そういう感じ?

 さとう ありますね。あとは、デビューして3年後くらいに、「2年B組仙八先生」っていうドラマで先生役をやったんですよ。その時も、東京でのロケが終わると、とにかく夜に車を走らせて。不思議なもので、まさに白河の関を越えると、あそこを越えて、福島に入るとね、ああ、やっぱり帰ってきた、っていう気持ちになりました。福島を過ぎて宮城県、白石くらいに来ると、夜が明けてくるんですよ。そうすると、仙台に帰ってきたっていう爽快感っていうのがありました。

 内館 ふるさとだからじゃない? それは大きいんじゃないかな。ふるさとの匂いっていうか。

 さとう そうですね。抽象的ですが、仙台は大きな街なんだけど、時間がゆっくり流れているというのがあって。東京にテレビだなんだって出かけて行って、何かと尻をたたかれて追われるような24時間でしたから。帰ってきて、大きな街なんだけれども、東京のようなにおいがない。そして、時間がすごくゆっくり流れてる。あの頃、まだ市電も走ってましたから。まだ。それが何か、すごく僕には合ってましたよね。

舘ひろしさんが賞賛した東北の景色

 内館 私は「終わった人」っていう小説を書いたんですね。舘ひろしさんが映画で主演しました。主人公は東大の法学部を出ているわけですよ。それで読者から手紙が随分来たんです。「東大の法学部じゃ、俺たちと違う。あんな人じゃない方がよかった」って。でもこれは絶対に東大の法学部でなければ駄目で。つまり、いい学校へ行こうが、大企業に勤めようが何だろうが、人生の着地はみんな一緒。65とかになれば、終わった人になるわけですよ。男も女も。女の人なんか、どんなに美人でならした高校時代があってもね、やっぱり65になればただの太ったおばさんになったりするわけだから。結局どうしても東大の法学部じゃなければいけないと思って、書いたんですね。

 それで、彼が東大の法学部という履歴が邪魔になってくるわけですよ。仕事を得る上で。東大がなんでウチにとか、前科者じゃないか、とか言われたりして。最終的には、紆余(うよ)曲折の末に、ふるさとの盛岡で、小さな、震災からの復興をめざすみたいな事務所で働く。給料じゃないのね。ふるさとで働くのが、すごくうれしいって。

 で、映画でロケをやったわけですよ。私は行ってないんですけども、盛岡のお寺を借りて、お父さんのお墓にお参りするシーンの撮影があった。スタッフが、どーんと岩手山が見えるお寺を借りて、舘さんが「いやー、すごいな」って。あの人、名古屋の出身なんですよね。「いや、こういう景色かー」っておっしゃって、さかんに写真を撮ってた、って言うんですね。私、やっぱり東北ってすごいな、って思うんですよね。

 うちだて・まきこ 1948年生まれ、秋田市出身。88年に脚本家デビュー。NHK連続テレビ小説「ひらり」などを手がける。2000~10年に女性初の横綱審議委員。その間に東北大大学院に入学。05年に東北大相撲部監督に就任し、現在は総監督。
 うちだて・まきこ 1948年生まれ、秋田市出身。88年に脚本家デビュー。NHK連続テレビ小説「ひらり」などを手がける。2000~10年に女性初の横綱審議委員。その間に東北大大学院に入学。05年に東北大相撲部監督に就任し、現在は総監督。

相撲研究、宗教学が充実した東北大で

 さとう なぜ、東北大の大学院に入学したんですか。

 内館 相撲の研究をしたかったんです。でも、相撲学科なんかないわけですから、どこの大学にしようかと思って、東京を中心に探していたんです。どうせだったら、国立の安いところで元とってやろうなんて思っちゃって。それで、東大の願書をまずもらってきたんです。横浜国大をもらって、京都もいいかと思って京大ももらって。そしたらね、一番宗教学が充実していたのが東北大でした。民間信仰から、それから東北は、すべてのものに神がいる、考え方が暮らしの中にありますから。

 みんな「裏から入った」っていうんだけど、表ですよ(笑)。でも顔がばれて、落ちてたらかっこ悪いじゃない。だから、ずっと下向いて試験を受けました。試験はあまりできなかったんです、実は。英語なんか全然で、全部、恐怖の意訳(笑)。すんごい意訳で、美しい文章つらねてね。そしたら面接の時に、やっぱり教授が、んーー、って感じだったんですね。「英語も随分意訳ですねえ。こういう訳だと、学術書を訳すのは困るよ」って言われて。ダメかなあと思ったんですけど、なんでここを受けたか聞かれて、一つには仙台という街が好きだったというのももちろんあるんです。でも、どうしても、女を土俵に上げたくないと。これは差別じゃないんだ、文化を守るんだ、と。私はここで勉強して、相撲のバックボーンが欲しい、って言ったんです。

 さとう それ、決め手ですよ(笑)。

 内館 そう、教授が寄り切られちゃったの(笑)。それで、合格しちゃったんですよ。

大学院ゼミ「学生に鍛えられた」

 さとう (内館さんの著書)「大相撲の不思議」を読んでからですよ、大相撲の見方が変わったのは。全然わかんないことが多かったですもん。

 内館 宗幸さん、あれ読んで下さったんだ。もうひとつ、東北大の論文をわかりやすくした新書があるんですよ。「女はなぜ土俵にあがれないのか」っていう。送ります。いくら宗教学科でも、相撲のことは、自分で勉強するしかなかい。でも、日本思想史とか、宗教学とか、神道から何から全部授業がありました。ゼミで発表するわけですよ。そうすると、私の息子や娘みたいな年の子たちが、すごく私をけなすの(笑)。「言ってること、学術的に違いませんか」とか「ここんとこもっと詰めないと甘いです」とか。みんなで意見交換するから。すっごい鍛えられて。

 さとう やはり大学院ですね。東北大に入る前から、大相撲の神事みたいなのは、十分理解していたんですか。

 内館 関心がありましたから、本では読んでたんですね。学者がいっぱいいるわけですよ。相撲の。そういう人たちの本は読んでたんだけど、私はきちっと勉強してないし、相撲専攻はなくても、大きな深い視点で学べました。それはゼミで発表しなくちゃいけないから、嫌でも勉強して、直してもらいますよね。それはやっぱりよかったですね。

 さとう 神道、宗教と大相撲との結びつきをあれだけ(著書に)書いて下さると、すごく理解が進んでいきます。大相撲というもののありようというのが、十分わかった。内館さんがあれだけ、クールビズで土俵にあがったり、女性が土俵に、っていうのをかたくなに拒否し続けた理由が十分わかりました。

土俵作り「仙台に助けられた」


 内館 私、決して差別してるわけじゃなくて。でも、差別と思われちゃうんです。どうしても。右翼! とかののしられちゃったりして(笑)。その時に「相撲部の監督をやってくれないか」って学生の部員に言われて、土俵も何も無いんですよ。東北大。そしたらね、東北学院大の相撲部が「うちで一緒に稽古しよう」って言ってくれて。部員を引き連れて、学院大の土俵に行って、学院大の学生と一緒に稽古していました。

 その後、学長が「作っていい」って許可を下さって、東北大に土俵を作ったんですね。私がまだ在学中に、体育館のすぐ横に、相撲道場ができました。これも仙台に助けられたんですけども、大相撲に仙台出身の呼び出しがいたんです。呼び出しさんが作るんです。土俵って。その呼び出しさんに「東北大の土俵作ってくれないかしら」って。お金は出せないけども、運賃と、泊まるところは出す、それに牛タンつけるから、って(笑)。「いいですよ、仙台行きますよ」って言ってくれたんです。3人くらい若い衆を引き連れてきて。東北大の土俵は、仙台出身のプロの呼び出しさんが作ってくれたんです。

土俵が完成し、五城楼親方に稽古をつけてもらう東北大相撲部員ら。後方右は内館さん(2006年8月22日、東北大川内キャンパスで)
土俵が完成し、五城楼親方に稽古をつけてもらう東北大相撲部員ら。後方右は内館さん(2006年8月22日、東北大川内キャンパスで)

 大崎八幡から神主さんに来て頂いて、お(はら)いしてもらって。その時に土俵開きをやったわけです。やっぱり縁起物だし、私も考えて、仙台出身の五城楼(現浜風親方)に頼んだんです。「私、実は東北大の監督なんですけど、今度初めて、土俵ができる。土俵開きでは大崎八幡の神主さんにお祓いをお願いしました。うちの学生と学院大の相撲部員が参加しますので、何とか胸を出して頂けませんか」って。二つ返事で「ああ、いいですよ」って。またそこで、出せるものは牛タンと、運賃と、泊まるところ(笑)。「あ、泊まるところは実家がありますから」って。あの時感激したんですけど、大きな袋もってるんですよ。紙の。何かと思ったら、塩の袋なんです。塩が1キロか2キロ入ってたんじゃないかな。若い衆2、3人と一緒に来て、こうやって、がーって(つか)んで、ばーん、ばーん、って道場中にまいてくれるわけ。私は塩も用意してなくて、そしたら元幕力士の五城楼があの手で、あちこち、天井の方とか、全部まいてお祓いしてくれて。私、「いやー、これで強くなります」って。

 土俵のまん中には穴があいてて、あの中に神饌(しんせん)、神様のご飯を入れるわけですよね。その時に、私が主将とか副主将に「神饌、用意してる?」って聞いたら、「え、それ何スか」、って言うから。神様のお食事で、これは常に下に埋めとくんだと。用意してるか聞くと「初めて聞きました。どんなもんですか」っていうから、昆布とか、栗とか、塩とか、って色々教えたの。「そうスか。ちょっとコンビニ行ってきます」って。

 さとう わっはっは。

 内館 私驚いて、「今、コンビニに勝栗売ってんの?」って聞いたら、「いや、勝栗ないスけど、天津甘栗なら売ってます」って(笑)。「昆布はないけど、塩昆布売ってます」ですよ。あなたね、いくらなんでもコンビニの天津甘栗と塩昆布の佃煮(つくだに)入れられないでしょ、って言ったら、五城楼も、それから大崎の八幡宮の神主さんたちも、ちゃんと用意してくれてた。

 だから、守られてるんです。それ以来、東北大相撲部どんどん強くなって。本当に。

 (次回「下」に続く)→こちら

■「We Love みちのく」記事一覧はこちら

無断転載・複製を禁じます
1690271 0 We Love みちのく 2020/12/10 12:00:00 2020/12/18 14:12:32 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201207-OYT8I50082-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)