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星空の記憶、完全復興につなげたい…内館牧子さん・さとう宗幸さん対談〈下〉

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 ※この対談は2020年11月18日、読売新聞宮城県版に掲載した対談記事の詳報です。2回に分けてお届けします。

震災の夜、仙台はどこもプラネタリウムのようだった

 うちだて・まきこ 1948年生まれ、秋田市出身。88年に脚本家デビュー。NHK連続テレビ小説「ひらり」などを手がける。2000~10年に女性初の横綱審議委員。その間に東北大大学院に入学。05年に東北大相撲部監督に就任し、現在は総監督。
 うちだて・まきこ 1948年生まれ、秋田市出身。88年に脚本家デビュー。NHK連続テレビ小説「ひらり」などを手がける。2000~10年に女性初の横綱審議委員。その間に東北大大学院に入学。05年に東北大相撲部監督に就任し、現在は総監督。

 内館牧子 震災をテーマにしたドラマを書きました。「小さな神たちの祭り」っていう2時間もので、東北放送のテレビ60周年記念特別番組。主人公役の千葉雄大さんは宮城の出身で、きれいな男の子。彼が「この役は誰にも取られたくない」って言ってくれて、主役を演じてくれました。

 主人公は結局、東京の三流大学みたいなとこに入るわけです。弟がすごく勉強できるんだけども、お父さんのイチゴ農家を継ぐって言う。主人公は世界を股にかけて働きたい、って感じだったんです。でも、弟は津波にのまれて、一家全員死んでしまった。お兄ちゃんだけ、東京だったから残った。そのお兄ちゃんが東京で就職して、一生懸命働くんだけれども、芽が出ないっていうことを含めて、「違うな」っていうのがあって。上司からも怒られるし、すっかり嫌になっちゃって。思いの先は(故郷の)亘理(わたり)なんです。ひどい状態の故郷なんだけど、帰りたいなと思って、仕事がなくても帰っちゃうんです。そして、のびのびするわけです。でも、家族5人と愛犬と、全部亡くしてるから、肉体労働でぐっすり眠りたい、っていうのもあって。ウォーターサーバーの水を配達する肉体労働をやりながら、ずっと仙台で暮らしてる。

 多分また再放送やりますから見て下さい。いろんなことがあって、最後の方のシーンは夏の夜なんですけど、仙台の街ですっごく星がきれいに見えるんです。その時に、「震災を思い出すね」って、仙台の人が街歩きながらいう。震災のあった日も、すっごい星がきれいだったね、って。一番町あたりとか、駅の近くとかで、あんなところで普通は見えないんだけれど、その日は見えるっていう設定にして。きらきら、もうプラネタリウムみたいに見えて。で、なぜか主人公も見上げて、ああ、本当に星がきれいだ、3・11に俺は東京にいたから見てないけど、親やじいちゃんばあちゃんや、弟や、犬の死んだ小太郎はこれを見てたんだろうな、って。もうね、自分で書きながら、なんていい本(脚本)だと思って(笑)。

仙台市天文台が制作したプラネタリウム番組「星空とともに」の一シーン。東日本大震災当日の仙台市の夜空を再現した。
仙台市天文台が制作したプラネタリウム番組「星空とともに」の一シーン。東日本大震災当日の仙台市の夜空を再現した。

 さとう宗幸 仙台の街中からも、星が見えたんですよ。(あか)りという灯りがみな消えましたから。仙台の駅からでも見上げれば、満天の星でしたね。

 内館 どういう感じでしたか。プラネタリウムみたい?

 さとう もうプラネタリウムみたいなもんです。ただひとつだけ、東の方で、石油コンビナートのタンクか何かが燃えて、その灯りが東の方に見えるくらいで。仙台の、一番町、青葉通、定禅寺通(じょうぜんじどおり)、どこからでも上空は、すばらしい星空でしたね。

 内館 それみんな言いますよね。

 さとう みんな言います。震災のあの日、被災地の人たちみんなの記憶に残っていますね。

 内館 それであれは、亡くなった人たちが空に昇ってったから、お星様になったんだ、っていいますよね。

 さとう 言いますね。

 内館 やっぱりそうだったんだ。私は見てないから、想像で書くしかない。プラネタリウムの写真を見ながら書いたんです。

 さとう・むねゆき 1949年、岐阜県生まれ、宮城県育ち。78年、「青葉城恋唄」でデビューし、NHK紅白歌合戦に出場。ドラマ「2年B組仙八先生」に出演するなど、俳優としても活躍。95年からミヤギテレビの情報番組「OH!バンデス」に出演、夕方の顔としても知られる。
 さとう・むねゆき 1949年、岐阜県生まれ、宮城県育ち。78年、「青葉城恋唄」でデビューし、NHK紅白歌合戦に出場。ドラマ「2年B組仙八先生」に出演するなど、俳優としても活躍。95年からミヤギテレビの情報番組「OH!バンデス」に出演、夕方の顔としても知られる。

 さとう あるお寺のご住職も、奥さんは涙流しながら星空見上げてたから、涙の光でみんなが天に昇っていくように見えた、っていうことをおっしゃっていました。

 内館 もちろん震災をプラスに考えるなんてことは絶対にできないけれど、本当に、みんなの力も借りて、完全復興したいですね。

 さとう 本当ですね。前からいろんなところで「仮設住宅から最後の方が出た時が、まさにふるさとの復興の始まりだ」って僕は言っていたので、これからですね、と思ってます。(震災から)10年っていう大きな節目を前に、被災地の沿岸の街はこれからでしょう。

 内館 私、東京のマーケットでイチゴ買う時に、亘理のマークないかなと思って。せっかくなので、亘理にお金落とそうと思ってね。

 さとう だいたい「仙台いちご」で売ってますね

 内館 「仙台いちご」の名は浸透してますね。メジャーになってきていますね。

国分町の有名クラシック喫茶「継ぐはずだった」

 内館 私の叔父が、国分町でクラシック喫茶「田園」っていうのをやっていました。

 さとう 「田園」、知っています。「田園」をやってらっしゃったの?

 内館 「田園」のオーナーだったの。

 さとう ええっ!? そうですか。

 内館 実家がお寺だったんです。仙台の壽徳寺。叔父は東京の大学を出て、有名企業に勤めていたんですけども、勤めながら、どうしてもクラシック音楽から離れられなくて、それであの、JBLのパラゴン、大きな機材を買って、「田園」を開いちゃった。

 さとう 我々の世代は、「田園」はみんな知ってますよ。はい。

 内館 作家の佐伯一麦さんも「え、田園!?」って驚かれて。「僕あそこよく行ってましたよ、本読んで物書いてた」って。ああ、有名だったんだな、と思って。その「田園」の後を継ぐ人がいないから、私に継がないか、って言われて。私まだその時28、9かな。仙台で暮らして「田園」のママっていうのは悪くないな、と思ったんですよ。一生できる仕事だし。ところがね、私クラシック全然ダメなんですよ。リクエスト曲をかけなきゃいけないんですね。何とかスキーとかの名前言われても、わかんないですよ。もっと駄目だったのは、お客さんがコーヒーとかサンドイッチとかって言うと、運んでいかなきゃいけないんだけど、どの人がコーヒーで、どの人がミルクだったか、わかんなくなっちゃって。試しに2日勤めてみて、叔父に「だめ、私、できない」って言いました。結局、継ぐ人はいないし、叔父は病気もあったから、たたんじゃった。「田園」。

 さとう へえ~。いや、懐かしいですね。オーナーさんだったんだ。

 内館 オーナーだったんですよ。今でもレコード、すごいあるんじゃないかな。

 さとう あの頃はターンテーブルでレコードを回す時代でしたからね。相当のレコードをお持ちだったと思いますよ。

 内館 あれがクラシックじゃなければ、まだよかったんだけど。目をつぶって聴いたりしてるじゃない。気取ってませんか(笑)。

 さとう あの頃は、クラシック喫茶、純喫茶、あとはジャズ喫茶でした。

 内館 私たちの年代とかもうちょっと若い人も、上の人も、「田園」って言うと「ええーー」って。「私継ぐはずだったんです」って。

 さとう 皆さんびっくりされるでしょう。僕だってびっくりしましたもん。

仙台、東京にあるものは全部ある

 さとう 仙台での3年間というのは、やっぱり72年の人生の中で、重きなる3年間でしたか。

 内館 ものすごく大きな3年間でした。仕事がノッてるときに仙台行って、仕事をセーブするっていうと、みんな「あなた帰ってきたら仕事ないわよ」って。

 さとう ああ、東京的な感覚はそうですね。わかります。東北大にいらっしゃる前は、仙台をどんなふうにご覧になっていたんですか。

 内館 しょっちゅう来てましたね。でも、東京みたいに大きい、と思っていました。盛岡なんか、文士劇に出るのでよく行っていましたし、秋田も行ってたけれど、仙台に来ると「やっぱり都会だなあ」って。だから私の中では、たとえば老後に仙台に住むっていうのは、東京とあんまり差がないんです。たとえば高層ビルがあったり、ショッピングアーケードがあったり。お店にしても、東京にあるものはだいたい全部あるでしょう。食べるものでも、地下鉄でも。東京にあるものは、全部あるから、東京と似てるかな、っていう感じ。その後盛岡行ったりすると、岩手山がどーんとあって。秋田もそうですよね。秋田は最近、ちょっと都会的になっちゃったけど。

 さとうさんは、70を過ぎて、この後仙台でどういうことやりたいですか。

生涯現役のシンガーで

 さとう 70になってこんなことを言っても何ですが、やはり生涯現役のシンガーでいたいと思っています。だから25年、テレビの番組はやってますけれど、基本的には私は歌手だという姿勢だけは崩さずにやっています。週に1回は番組で歌うようにしてますし。

 内館 それ(さとうさんが毎日出演する『OH!バンデス』)、東京で見られないんだもんね。

 さとう やはりギターを抱えてシンガーとしてやっていたい、っていう思いは、40年やって全く変わらないものですから。

 内館 詞も曲も作って、歌って?

 さとう そうですね。基本的にそれが最善だと思ってますけども、なかなか書けない時には、他の方の詞をいただいたりしてきました。ぜひ、内館さん、ひとつ詞を。

 内館 あの「昔きいたシャンソン」があまりに良すぎて! 

 (聞き手 読売新聞東北総局 鶴田裕介)

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1706333 0 We Love みちのく 2020/12/17 12:00:00 2020/12/17 12:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201209-OYT8I50057-T.jpg?type=thumbnail

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