福島から詩人・和合亮一が問う「戦争と同じ不条理」
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「We Love みちのく」震災10年特別編
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から10年。被災地の福島で高校の国語教師を務める傍ら、発信を続ける詩人・和合亮一さん(52)に、故郷への思いを聞いた。「放射能が降っています。静かな夜です」……。震災直後から、ツイッターで「詩の

――2月13日夜、福島、宮城県は最大震度6強の地震に見舞われました。10年前の震災の余震とみられます。
「骨で記憶している揺れでした。うちも停電になって、もっと大きな地震が来るんじゃないかと、風呂おけに水をいれたりしました。10年前の時間がそのまま真っすぐ届いてきたように感じたんですね。この10年間、ずっと震災のことを語り続けてきましたが、現在もコロナ禍のままで、講演会やシンポジウム、朗読会などで伝えたり、語り合ったり、なかなかできない状況です。どこか気が抜けていたところがあったかもしれません。伝える場所を奪われてしまったような気がして、弱気だった自分が奮い立たされた面もありました」
――原発事故があった福島は復興に向けて歩みを進める一方で、今も県内外に3万6000人超が避難しています。

「この10年、故郷を追われた方々の姿を追ってきました。前半の5年は、地震、津波、原子力災害、風評被害と、それにまつわる様々なことに直面するので精いっぱいだった。それが後半の5年はだんだんと静かになっていくんですね。あきらめの静けさがありました。前半は激しい怒り、悲しみの喪失感ですが、後半は『もう本当に元に戻れないんだ』という精神的な喪失感を味わう方がたくさんいました」
「飯舘村に戻ってきた、ある酪農家の方は、10年たって『もう怒り続けるのに疲れた』と。若い人たちは戻ってこないし、村の暮らしは元に戻らないことがはっきりわかったというご様子でした。心の地図みたいなものが変わってきたのかなと感じています」
嘆くだけでなく何かを見いだす視点、創作の始まり
――震災直後から、「放射能が降っています。静かな夜です。」「明けない夜は無い。」といったフレーズで知られる「詩の礫」をツイッターで発信されました。妻と子、近所の人たちが避難していく中で福島市のアパートにとどまって発信を続けたそうですね。
「残った人たちは孤独な状況を強いられたんですね。このまま虐げられて、隔離されてしまうんじゃないかと。何かを書いていると、気持ちを取り戻せるというか……。言葉にしがみついている感じだったんです。毎日毎日、余震が続く中で、自然の脅威、恐ろしさと隣り合わせで生きていることをすごく体で感じたわけです。それが言葉を書くということに自然となっていった」

「震災前までは、穏やかな福島で暮らし、前衛的な作品、実験的な作品を作っていたんです。そういう意味では、故郷とか、悲しみとか、涙とか、わかりやすい直接的な表現は使わなかった。詩はこういうものだという決めつけの発想になっていたんです。でも、いままで目の前にあったものが崩壊したときに、自分のやってきた創作の方法は通用しなかった。だから、どんどんわいてくる言葉をそのまま書こうと思ったんです」
「震災と原発事故で世紀末的な経験をして、喪失感とか、死者との対話とか、感情や心を追いかけてきました。合唱曲や神楽、演劇、能楽の台本も書きました。いつまでも現状を嘆いているだけでなく、そこに何かを見いだす視点、そこからが創作の始まりではないかと思っています」
――津波で高校の教え子を亡くされました。
「20歳代に、(沿岸部の)浜通りの高校に6年間勤めました。今も行方不明のままの教え子は若い警察官でした。親が波にさらわれてしまった子もいました。震災後、テレビ局の要請を受けて、防護服を着て浜通りに入ったことがありました。無人の街は、自分の原風景として残っています。避難したままなので、洗濯物が干してあったり、自転車が立てかけられていたり、サンダルが庭にあったり、そういう状況なんです。人の気配がない街はこうなんだと、ショックというか、恐ろしさを感じたことを思い出します」
――被災地で暮らす詩人として今、何を発信したいですか。
「僕にとっての創作活動の始まりは、戦争でシベリアに抑留され、亡くなった祖父の存在でした。戦争の末期、文学が好きだったという祖父がなぜ極寒の地に送られ、戦死しなければならなかったのか。その不条理が心に焼き付いて、その意味を問いたかった。それがそのまま、福島の震災と原発事故に重なる気がするんです。戦争と同じ不条理がある。震災、原発事故を真ん中に置いて、人生や社会、教育の在り方、芸術、宗教といった普遍的な問題を考えることに、自分の創作活動をつなげていきたいと思います」
身の丈に合った暮らし、それが「復興」
――震災10年に合わせて、「未来タル」など三つの著作を出されます。

「10年前に『詩の礫』『詩ノ黙礼』『詩の
――福島の復興についてどう思いますか。
「『復興』という言葉に、言いようのない違和感を持っている方も多いんですね。私が思う『復興』は、コロナ禍と重なるところもありますが、ライフスタイル(生活様式)、ライフサイクルを見直す方向に向かっていくことです。原発が爆発したのも、従来の考え方がどこか違っているという証しだと思うんです。震災の問題は、今までのスタンダードで考えた結果、よくなるとか、時間がたったら解決するというものじゃない。それはコロナ禍に遭って、多くの人が感じ始めていると思います。単に利益をあげるというのではなく、身の丈に合った暮らしをするにはどうしたらいいのか考えることが、一つの復興の
――詩や言葉はどう関与していけるのでしょう。
「感性や感覚に働きかけることはできると思うんです。感性や感覚が言葉を生むし、生き方を変えていく。例えば、『ソーシャルディスタンス』『三密』といった言葉がライフスタイルを決める力を持っている。その言葉を生み出すのは人間の感性、感覚なんです」
「『自然との共生』と言いますね。それをただの6文字で終わらせず、新しい発想を取り入れる力を子供たちは持っていると思うんです。新鮮さを作り出すクリエイティビティー(創造力)を初めから備えている。そこに希望があるんじゃないでしょうか」
「未来タル 詩の礫 十年記」(徳間書店、2月28日刊行)より
朝に/ふと/ある女性の話を/思い出していた/帰還困難区域へ/久しぶりに/自宅へと戻って/あれこれと 作業をしていると/そっと/風が入ってきて/家の/空気が/なぐさめて/肩を
「涙が泣いている。/涙も泣くんだね。/泣いている。/涙が、泣いている。
涙だって、泣けばいい。/涙だって、泣いていいんだよ。」

和合亮一 わごう・りょういち 1968年、福島県生まれ。99年に詩集「AFTER」で中原中也賞を受賞。2011年の震災後、ツイッターに投稿した詩をもとにした「詩の礫」で注目を集めた。19年には、「QQQ」で萩原朔太郎賞。震災10年に合わせ、「未来タル」(徳間書店)、「ふたたびの春に」(祥伝社)、「Transit」(ナナロク社)の著作を出す。
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