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停留所に由来説明やスタンプ
岩手県南部にかつて、鬼死骸という名の村があった。自治体としては明治時代に消滅したが、その地名入りの電信柱はいまも残り、バス停も最近まで現役だった。このおどろおどろしい名前に匹敵するのは、私見だが、渋沢栄一の出身地の血洗島(埼玉県深谷市)ぐらいか。地元では、名前を生かしたまちおこしが始まっている。

宮城県境に近い一関市真柴地区。農村の風景を楽しみながら、まっすぐに延びた県道を車で南下する。この辺りかと右側を見ると、あった。「国鉄バス 鬼死骸停留所」の看板が目立つ待合所(いまは休憩所)だ。
中には村名の由来などが書かれた説明板やパンフレット、江戸時代に描かれた「鬼死骸村絵図」のパネルなどがある。コメントが書ける自由帳に「鬼死骸」スタンプも設置済みだ。

バス停には、5年前まで路線バスが止まっていた。ルート変更で廃止となったが、バススタンドは“鬼”関連の名所までの距離などを示す案内板として活躍中だ。
地元紙で見た「鬼死骸」の名前にひかれてここに来たが、訪問者の理解を助ける様々な配慮を目の当たりにし、すでにかなり満足だ。
待合所に腰を下ろす。耳を澄ますと「ホーホケキョ……」。別の鳥のさえずりも聞こえる。のどかだ。地名とのギャップに
平安時代、

大武丸の亡骸の上に置かれた?「鬼石」
個人的には、どんないわれがあるにせよ、よくぞ人々はこの村名を受け入れたと思う。

下世話な妄想で申し訳ない。自分が同村の住民だとする。旅先のホテルで宿泊カードに住所を記入するにはかなりの緊張を強いられ、勇気もいる。受付担当にふざけたやつだと思われないだろうか。
本筋にもどる。
「バス停」の案内を頼りに、県道を北へ650メートル移動すると、田んぼの中に「鬼石」があった。その巨石は、大武丸の亡骸を埋めた上に置かれたといわれる。近くには、大武丸のあばら骨とも一部が埋められた場所とも伝えられる「あばら石」、坂上田村麻呂が平安を祈願して
ちなみに階段を上ると左側に、前足部分を失った小さな

「鬼滅」ブームにあやかり話題に
ところで、休憩所や案内板などを整備したのは、「真柴まちづくり協議会」のみなさんだ。会長の大倉秀章さん、真柴市民センター所長の小野寺徹さん、同センター職員の佐藤美和さんがいろいろと説明してくれた。

3人によると、協議会は地元の歴史や史跡をPRする事業の中で、奥州街道などとともに、鬼死骸村も紹介する活動を始めていた。
そこに、漫画「鬼滅の刃」ブームが到来。まさに鬼が滅した場所としてネット上で話題となり、マスコミの取材も相次いだ。このため昨年から今年にかけ、鬼死骸関係の事業が急ピッチで進むことになったという。
3人は気合十分。取材時には、自腹で購入したという特製の上着やマスク、帽子を見せてくれた。上着の左胸と背面には「奥州街道 鬼死骸」の文字が並ぶ。時代が違えば、バイクでブンブンいわせるお兄さんたちの服に似合いそうだが、インパクトは十分だ。

協議会では、鬼死骸ゆかりの地も訪れるツアーを開催したり、無料のアプリで“鬼死骸地図”を作成したりして、内外への周知を図る。小野寺さんは「鬼死骸をきっかけにして人々が様々な史跡を巡り、真柴地区への理解を深めてくれるとうれしい」と話す。
アニメ映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」は米国など海外でも大ヒットした。世の中が落ち着き、旅が自由にできるようになると「オニシガイ」を求めて海外の鬼滅ファンが真柴地区まで足を運ぶこともありそうだ。協議会の皆さんは、ますます忙しくなるかもしれない。
問い合わせ先 真柴市民センター 0191・26・2523)

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