炭鉱遺構めぐり、常磐炭田の「栄枯盛衰」に思いはせ

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福島支局長 広中正則

西南戦争で注目、高度成長期は全国の出炭量の1割

 「ヘリテージツーリズム」をご存じだろうか。日本の近代化を 牽引(けんいん) した産業などの遺産(ヘリテージ)を観光に生かすことをいう。福島、茨城県にまたがる常磐炭田に、「黒いダイヤ」といわれた石炭の炭鉱遺構が残っていると聞いて、地元・福島県の「いわきヘリテージ・ツーリズム協議会」の人に案内してもらった。

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坑口の上に建てられたレンガ造りの「扇風機上屋」。坑内の空気を入れ替えるため、上屋には、巨大な扇風機が設置された
坑口の上に建てられたレンガ造りの「扇風機上屋」。坑内の空気を入れ替えるため、上屋には、巨大な扇風機が設置された

 待ち合わせたのは、福島県浜通り地方の南端、いわき市で常磐炭田の歴史を紹介している「石炭・化石館ほるる」。地元の有志や企業でつくる同協議会の熊沢幹夫さん(78)と菅野昭夫さん(74)に案内人を務めていただく。

 「石炭を掘り始めたのはペリー来航がきっかけなんです……」。まずは歴史の話から始まった。江戸時代末期、黒船が石炭で動くと知った地元の材木商・ 片寄(かたよせ) 平蔵が、 弥勒沢(みろくざわ) 地区(いわき市)で石炭層を探し当てたのだという。

いわき市の弥勒沢地区でみられる石炭層。江戸時代末期、ペリー来航の頃に、この地区で最初に石炭層が発見されたという
いわき市の弥勒沢地区でみられる石炭層。江戸時代末期、ペリー来航の頃に、この地区で最初に石炭層が発見されたという

 1877年(明治10年)の西南戦争で九州から首都圏への石炭輸送がとだえると、常磐炭田はがぜん注目を集める。阿武隈高地の東麓から太平洋に向かって石炭層が広がり、南北約90キロの範囲に炭鉱は最大130を数えた。戦後の高度成長期には全国の出炭量の1割を占めたーー。そんな説明を聞きながら、エネルギーの主役の座を石油にとって代わられるまでのにぎわいを思う。

昭和天皇の東北巡幸最初の地

昭和天皇が東北巡幸で訪問された「湯本第六坑人車坑」。帽子に背広姿で坑内に入っていかれたという
昭和天皇が東北巡幸で訪問された「湯本第六坑人車坑」。帽子に背広姿で坑内に入っていかれたという

 最初に案内してもらった遺構は、石炭・化石館の敷地内にある「湯本第六坑人車坑」だ。

 レンガ造りのトンネル内に傾斜して延びるレール。その上に朽ちかけた木造の人車が載っている。戦後まもない1947年(昭和22年)、昭和天皇が東北巡幸の最初の地として訪れ、ここから鉱員が乗る人車で地下の坑内に足を運ばれたという。

 「(気温が)40度を超える坑内で働く鉱員たちを、汗びっしょりになりながら直接激励されたと聞いています。石炭は復興にどうしても必要な資源だったんでしょう」。熊沢さんの言葉に、70年以上前の熱気がよみがえるようだった。

廃城思わせる選炭工場の跡、手付かずで残される施設も

 次は、車で10分ほどの内郷地区へ。熊沢さんらの立ち会いのもと、特別に選炭工場の跡を見学させてもらった。小高い丘に立つ3階建ての重厚なコンクリート造り。壁面は黒くくすみ、さびた鉄筋が所々むき出しになっている。選炭は、掘り出した原炭から岩石分を取り除き、石炭分を選別する作業をいう。かつては石炭を運ぶベルトコンベヤーも並んでいたようだが、うかがい知ることはできない。「 (つわもの) どもが夢の跡」。廃城を思わせる風景に、そんな言葉が浮かんだ。

炭鉱周辺を描いたイラスト。掘り出された石炭が選炭作業などを経て、貨車に積まれ、運ばれていく様子がうかがえる(常磐炭田史研究会の野木和夫会長作成)
炭鉱周辺を描いたイラスト。掘り出された石炭が選炭作業などを経て、貨車に積まれ、運ばれていく様子がうかがえる(常磐炭田史研究会の野木和夫会長作成)

 近くには、原炭を運び出す石造りの 坑口(こうぐち) 跡のほか、坑内の空気を入れ替えるために巨大な扇風機(羽の長さ約1・5メートル)を設置したレンガ造りの 上屋(うわや) 、石炭を専用線の貨車に積み込んだコンクリート造の「 万石(まんごく) 」という施設跡も、手付かずのまま残されている。

 かつて炭鉱住宅(炭住)で暮らした人たちの娯楽が垣間見える場所も訪ねた。

 内郷地区の山神社にあった相撲場だ。土俵があったスペースを階段状の観客席がぐるっと囲み、ローマの円形闘技場・コロッセオを 彷彿(ほうふつ) とさせる。往時は屋根付きの (やぐら) が組まれ、1000人の観客が入れたとか。「関脇にまでなった相撲取りの時津山を呼んで、子供相撲をやったなんて話も聞きました」と熊沢さんは言う。戦後復興が進んでいた右肩上がりの時代だろう。

「常磐炭礦内郷礦」の選炭工場跡。掘り出した原炭から「ズリ」と呼ばれる岩石分を取り除いた。工場の近くには、高さ100メートルにもなるズリ山(ボタ山)ができたという
「常磐炭礦内郷礦」の選炭工場跡。掘り出した原炭から「ズリ」と呼ばれる岩石分を取り除いた。工場の近くには、高さ100メートルにもなるズリ山(ボタ山)ができたという

逆転の発想で生まれた常磐ハワイアンセンター

 その後、エネルギーの転換で1970年代までにほとんどの炭鉱が閉山し、石炭会社の「常磐 炭礦(たんこう) 」が、温泉施設とフラダンスを売り物とする「常磐ハワイアンセンター」(現スパリゾートハワイアンズ)を設立したのはよく知られた話だ。2006年に公開された映画「フラガール」でも、炭鉱町再生の物語が描かれている。

 炭鉱では、採掘時に湧き出す多量の温水に悩まされていたが、それを逆に利用するという発想の転換だった。今もハワイアンズや湯本温泉では、かつての炭鉱坑内から引かれたお湯が使われているという。半日がかりの遺構めぐりを終えた後、湯本温泉の公衆浴場につかりながら、炭鉱町の栄枯盛衰をゆっくり反すうした。

▽いわきヘリテージ・ツーリズム協議会(いわき市石炭・化石館ほるる内)=電話0246・42・3155

*予約を受けて、随時、ヘリテージツアーを実施している。JR湯本駅から徒歩約15分の石炭・化石館などに集合。内郷地区の選炭工場、坑口、扇風機上屋の跡は協議会の立ち会いがなければ見学できない。ツアーのコース、移動する車の確保、料金などは相談に応じる。

プロフィル
広中 正則(ひろなか・まさのり)
1970年9月、山口県岩国市生まれ。93年、読売新聞東京本社に入社し、宇都宮支局に。以降、地方部内信課、社会部、教育部などを経て、2020年9月から福島支局長。単身赴任の気楽な立場を生かし、福島県内の59市町村すべてに足を運ぼうと、休日のたび観光ガイドを繰っている。

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2782811 0 We Love みちのく 2022/02/24 12:00:00 2022/04/07 17:17:54 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/02/20220218-OYT8I50019-T.jpg?type=thumbnail

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