「震災伝えて犠牲者減らすのが私の役目」…宮城語り部列伝(上)

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東北総局長 池辺英俊

南三陸語り部バス・伊藤文夫さん

 新型コロナは実に罪深い。人の健康をむしばむだけでなく、人の大切な営みも妨げる。東北では、11年前の東日本大震災の経験や教訓を伝える「語り部」活動が苦境にある。コロナ禍で被災地を訪れる人の数が著しく減少し、活動継続を危ぶむ声も出ている。こうした中、「伝承の灯は決して消さない」と強い思いを胸に活動する宮城県の語り部2人を紹介したい。

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語り部バスで震災被災地について説明する伊藤文夫さん。東日本大震災とチリ地震を両方体験。「備えと訓練が大事」と強調する
語り部バスで震災被災地について説明する伊藤文夫さん。東日本大震災とチリ地震を両方体験。「備えと訓練が大事」と強調する

 「家族で一度は無事に避難しながら、糖尿病を患う父親が寒そうにしているのを見た娘が『まだ間に合う』と着る物を家に取りに帰り、津波にのまれて犠牲になりました。私のすぐ近所の話です」

 「こうした悲しい出来事がここではたくさんあったのです。こんな悲しい思いは、もう誰にもしてもらいたくない」

 来年、傘寿を迎えるとは信じられないほど、元気でしっかりした声の伊藤文夫さん(79)の言葉に引き込まれる。伊藤さんは、南三陸ホテル観洋(宮城県南三陸町)渉外部長という肩書の傍ら、ホテルが運行する「語り部バス」ツアーのガイドという顔ももつ。

 ホテルから見渡す志津川湾の海面がまぶしく輝く2月快晴の朝、午前8時45分、ホテル出発。約1時間の語り部ツアーに参加した。参加者は10人ほど。多い時は大型バスに入りきれなかったというから、ここでもコロナ禍の影響が見て取れる。

雪も降ったあの日、小さな神社のほこらで身を寄せ合った

あの日、戸倉小学校の児童らが避難し、一夜を過ごした五十鈴神社。伊藤文夫さんがツアー後に筆者を現地に案内してくれた
あの日、戸倉小学校の児童らが避難し、一夜を過ごした五十鈴神社。伊藤文夫さんがツアー後に筆者を現地に案内してくれた

 伊藤さんの語りは、1960年5月のチリ地震津波から始まった。伊藤さんは南三陸町の旧志津川町だけで41人が犠牲になったチリ地震津波の経験者でもあるのだ。若かりし伊藤さんは明け方、けたたましいサイレンの音で目を覚まし、「津波をこの目で確かめてやる」と無謀にも自転車で河口へ向かった。しかし、川をさかのぼる津波の勢いに仰天し、慌ててゲタを手に、はだしで山を駆け上がり、九死に一生を得たという。

 バスは戸倉小跡地で停車。すぐ目の前は海。あの日、津波襲来が間近の学校で、屋上に逃げるか、高台に逃げるかの判断を迫られた校長は、地元出身の教師がかねて主張していた「高台避難」を選択。この瞬時の判断が児童たちの命を救った。

 「あの日はとても寒く、雪も降っていた。山の高台はなおさら。小さな神社のほこらでろうそくをともし、身を寄せ合った。泣き出す児童もいる中、あるグループから歌声が。卒業式で歌うために練習を重ねてきた、川嶋あいさんの『旅立ちの日に…』。静寂の夜空に歌声が響いた。心細い中、あの歌に勇気をもらったと多くの人が振り返っています」

 失われた命、救われた命、紙一重だったのだと伊藤さんの語りから伝わってくる。

 「戸倉小の卒業式は5か月遅れの8月に行われました。『日本一遅い卒業式』と見出しにした新聞も。式には川嶋あいさんもサプライズ出演し、いっそう思い出深い式になったのです」。しみじみ語る伊藤さんの声は、すこし震えているように聞こえた。

無言の語り部の震災遺構…総合結婚式場は爆弾が投下されかのよう

海沿いの総合結婚式場「高野会館」一階ロビー。津波襲撃の威力を無言で伝えている
海沿いの総合結婚式場「高野会館」一階ロビー。津波襲撃の威力を無言で伝えている

 続いて訪れたのは旧戸倉中学校(現在は公民館)。バスで坂を上った高台にある。見下ろす海から、ここまで津波が駆け上がってきたのかと驚く。ここで生徒たちは黒い濁流にのみ込まれた仲間を救うため、運動着をつなぎあわせ、ロープにして必死に引き上げた。

 海沿いの総合結婚式場だった高野会館は、館内が1階から3階まで粉々に破壊されていた。爆弾が投下されたかのような光景だ。骨組みだけになった防災対策庁舎とともに、「無言の語り部」と言われる震災遺構は、津波の破壊力を私たちに強く印象づける。

 伊藤さんは、自分の住んでいた西戸集落がチリ地震津波の被害を免れ、それが「ここは津波が来ても大丈夫」との誤った認識につながり、震災で49人もの犠牲者を出す結果になったと無念の表情で語った。

 その上で、「行政が決めた避難場所でも安全だという保証はないんです。いざという時の避難場所を自分の足でしっかり確かめておいてください」と参加者に強く訴えた。

津波で被災し、骨組みだけが残った南三陸町の防災対策庁舎。周辺は震災復興祈念公園として整備されている
津波で被災し、骨組みだけが残った南三陸町の防災対策庁舎。周辺は震災復興祈念公園として整備されている

「ついこの間の出来事、備えと訓練が大事だと訴え続ける」

 大震災は伊藤さんから家族同然に大切な知人や、たくさんの友人を奪った。

 あの日から11年。せわしい世情の中で震災の風化を懸念する声が出ていることについて、ガイドを終えた伊藤さんに聞いてみた。伊藤さんは首を大きく横に振った。

 「私にとって大震災はつい、この間の出来事です。自然災害の怖さを伝えて、少しでも犠牲者を減らすのが私たち語り部の役目。備えと訓練が大事だと訴え続けます」

 近年、防災士の資格も取得した。語り部としての向上心は尽きず、ブレも全くない。

南三陸ホテル観洋から見た日の出。時の経過も忘れて見とれるほどの美しさ
南三陸ホテル観洋から見た日の出。時の経過も忘れて見とれるほどの美しさ

【メモ1】南三陸ホテル観洋(0226・46・2442)は、スタッフが南三陸町内の被災地や震災遺構をバスで案内する「語り部バス」を毎朝運行している。利用料金は大人500円、子供250円。震災の風化を防ぎ、南三陸の交流人口を増やして地域活性化につなげようとホテルの 女将(おかみ) 、阿部憲子さんが発案した。企業研修などにも活用され、この10年間に約42万人が参加したという。

【メモ2】筆者は今年1月初め、プライベートで南三陸ホテル観洋に宿泊。志津川湾のかなたから、まばゆい光線を放つ神々しい日の出を見ることができた。

プロフィル
池辺 英俊(いけべ・ひでとし)
1966年4月、東京生まれ。福岡で青春時代を過ごす。90年入社。政治部に約20年在籍。首相や外相、自民党幹事長同行の外遊は30回を超える。急性骨髄性白血病の闘病・移植治療を経て、2020年2月に東北総局長として初のみちのく赴任。チリから寄贈された、世界でも珍しい目のあるモアイ像(写真奥)を南三陸町で見て驚く。

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