ソ連スパイ忍者を研究
完了しました
忍者ブームが1980年代のアメリカから世界に広まったため、「海外の忍者ブーム」といえば英語圏に主眼が置かれることが多い。しかし、それ以前にも、海外に忍者の情報が
その人物はロマン・キム(1899~1967年)。ソ連では、日本研究者、スパイ小説作家として高名な人物だったが、最近の研究により彼が
キムは実際の防諜活動で、▽様々な書類で自分について書かれた情報をあいまいにした▽女性スパイを組織し、日本の外交官らにロシア語の教師として近づかせた――といった忍者の
スパイの手段は、洋の東西を問わず一緒だったともいえるが、少年、青年時代を日本に過ごしたキムが、確実に忍者のことを知り、忍術についての情報を参考にしたとも考えられる。
1926年に日本を訪れた、同じくソ連の人気作家ボリス・ピリニャーク(1894~1938年)が『日本印象記―日本の太陽の
同書の本文にも「欧米では尾行、密偵などが不道徳とされるのに、日本では忍び、忍術なる立派な学問まで存在する」と書かれている。キムによる豊富な注釈は、
これはロシア語初の忍術の解説で、世界的にも最も早い事例の一つだ。
ピリニャークとキムは、忍術に触れる時に「非過去時制」を使って記述している。この本からは、26年時点の日本では忍術が存在し、忍者もいるという印象を受ける。
これは単なる勘違いではない。キムの忍術観には、歴史的な忍術と、現代のスパイ戦をつなぎ合わせることが肝要だった。
キムの生涯や防諜活動については、キム研究の第一人者クラーノフ・アレクサンドル氏の著書『東京を愛したスパイたち』(藤原書店、2016年)が詳しい。クラーノフ氏が見つけた30年代半ばの資料から、キムが、訪日する友人に忍術の文献を持って帰るように頼み、論文執筆を計画したことがうかがえる。
キム自身が37年、“日本のスパイ”としてソ連当局に逮捕されたため、残念ながら、忍術の研究論文の計画ははかどらなかった。60年代になり、『幻の学校』という小説の形で世に出たが、その話は次回に譲りたい。

クバーソフ・フョードル・国際忍者研究センター研究員
ロシア・サンクトペテルブルク国立大卒。三重大に2度の留学経験があり、昨年10月、研究員として3度目の来日。