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    心身一如は必要不可欠

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    • 18歳の頃、鎖鎌の修行に打ち込む筆者(左)=川上氏提供
      18歳の頃、鎖鎌の修行に打ち込む筆者(左)=川上氏提供

     今や忍びは、「NINJA」として世界中に知れ渡り、人々を魅了している。だが、そのロマンと、ミステリアスな存在からか、実体とはかけ離れ、誤解された忍者像が蔓延まんえんしている。ことに、忍術修行については、史料もほとんど残っておらず、未知の部分が多い。伝承の一端として、私が経験した内容を紹介させていただこうと思う。

     明確な記憶ではないが、小学校に入る前の6歳頃、雲水の格好をして地面に円形の絵を描いたり、子どもたちに古銭を打つのを見せたりしている師匠に出会った。これが私の忍術修行の始まりである。

     私は孤独なタイプで、あまり目立たず、風変わりな子供だったので、目に付いたのかも知れない。それからは会うたびに、忍びの術としていろんなことを教えられた。

     師匠の名は石田正蔵。京都に住み、冬季以外は私の住む若狭(福井県)に出かけてきていた。眼鏡をかけ、痩せこけた老人だったが、「戦中は大陸で特務に従事していた」と言っていた。

     修行は、神社の境内や裏山、墓地などで行った。人知れぬよう夜中に出たり、あまり広言できないような内容も色々と行ってきた。

     幼少の頃は、身体の発育の阻害にならない配慮をされ、忍びの技の根源になるものとして、呼吸法や運足、歩法、走法などの心身操作の基本を中心に学んだ。

     敵に悟られぬよう、細く長く息を吸い、吐く。吸う時に腹をへこめ、吐く時に膨らませる。緩急を付けるなどの呼吸法は、最も重要である。精神を統一し、心身一如となることは、忍びの技を駆使するために必要不可欠だ。音もなく侵入するには、「抜き足、差し足」に代表される歩法も大いに修行を積む必要がある。

     小3くらいからの少年期や、その後の青年期になると、砂利に指を突っ込んだり、全身に打撃を加えたりする身体鍛錬に加え、高所の登攀とうはんや降下、暗中の行動など、実際的な忍びの技術の練習を続けた。

     痛い、しんどいは普通のこと。「忍術の忍は堪忍の忍」であり、「何が何でも生き生きて生き抜く」ということを、口うるさく指導された。(この項続く)

    • 川上仁一・特任教授
      川上仁一・特任教授

     川上仁一・社会連携特任教授

     武術家、忍術研究家。甲賀流忍術を継承する甲賀流伴党21代宗師家で、伊賀流忍者博物館の名誉館長を務める。

    2018年09月12日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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