幻術?水上歩行や高波

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「忍術使いの久徳が雪駄履で渡った」との伝承がある大池(伊賀市大野木で)
「忍術使いの久徳が雪駄履で渡った」との伝承がある大池(伊賀市大野木で)

 前回紹介した明治期の伊賀の忍術使い・久徳について書くが、その前に、まずは久徳が居を構えていた伊賀市の大野木地区、及び旧花之木村について簡単に紹介したい。

 「伊賀地誌」によると、村を構成する三つの地区名である法花の「花」、下之庄の「之」、大野木の「木」で「花之木」と号すとある。伊賀地域の他の村同様、中世城郭の数は極めて多く、あざが三つに対し城郭跡は20件ほど確認されている。

 その中でも木曽義仲家臣の今井兼平が落ち延びたと伝わる兼平跡などは、事実ならば非常に貴重な史跡であるが、花之木地区の郷土史編纂へんさん史料では「その高名を語った一党が落ちのびて来たものと思われる」と分析されている。最近では所在が不明であった忍術の「起請文」が大野木地区で発見されたばかりだ。

 さて、忍術使い・久徳がいかなる人物であったかであるが、その詳細は郷土史家の吉住勘元著『さんぽ路2』において、氏が現地で聞き取った久徳にまつわる伝承を記録しているので紹介したい。

 大野木村内で転々と住居を変えていたという久徳の職業は大工だった。実際に久徳が披露した忍術というのは以下のようなものである。

 「村にある大池と呼ばれる池の上を、雪駄履せったばきで渡った」「大波を打たせると言って高波を立てた」など、確かに実際に披露されれば驚くようなものもあれば、「『西瓜すいかを食べさせる』と言っては突然姿を消すと、上野の店からもってきたという西瓜を手にして現れた」といった、ただの西瓜泥棒のような、よく分からない術も披露している。

 その他にもいくつかの術が記されているが、やはり冒頭の二つ、大池で行った術というのが本当ならば、そう易々と実演できるものではない。

 また、明治―昭和初期という時代は、奇術や幻術の類いに忍術も融合されていた頃なので、一種のイリュージョンを忍術としてやってのけたといえる。

 吉住氏の調査からすでに54年っているが、現在でも何か伝承はないかと花之木地区を訪ねてみたところ、地域の方々からは「岡八幡宮の裏で忍者が修行していたとは聞いている」「なんか聞いたことがあるな」といったお答えはもらえた。

 私の同窓生の一人も大野木出身で、彼の祖母が「うちのご先祖は忍者やったんやで」などと言っていたが、当時中学生だった私と友人は、そんなことよりテレビゲームに夢中であった。しかし今、久徳が高波を立てたという大池のふちから見渡す花之木地区は、確かに「忍びの里」に見えるのである。

 酒井裕太・三重大国際忍者研究センター職員
 酒井裕太・三重大国際忍者研究センター職員

 酒井裕太・三重大国際忍者研究センター職員

 追手門学院大卒。明治から昭和初期に実在した忍術家を研究している。

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53787 0 三重大発!忍び学でござる 2018/12/12 05:00:00 2018/12/12 05:00:00 「忍術使いの久徳が雪駄履きで渡った」伝承がある大池(伊賀市大野木で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20181212-OYTAI50002-T.jpg?type=thumbnail

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