芭蕉の脚力普通だった
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“芭蕉忍者説”では、数えで46歳になる松尾芭蕉が健脚で「奥の細道」の旅をできたのは、芭蕉が鍛えられた忍者だったからとするものが多い。ここで実際に旅程を検討してみる。
「奥の細道」の旅程は、芭蕉の記した「おくのほそ道」よりも、随行者・曽良の残した日記(曽良旅日記)に
「奥の細道」の旅は、総行程約450里(1768キロ)、日数156日間で、移動日の平均距離は7里半(約30キロ)だったという。1日に40キロ以上歩いた日が7日ある。このうち長いのは8月8日の森田―今庄間が48キロほど、5月4日白石―仙台国分町間が51キロほどであった。
江戸時代の男性の平均歩行距離は1日10里(39・3キロ)といわれる。東海道(日本橋から三条大橋)124里8丁(488・1キロ)を12泊13日で歩く旅が標準で、これは1日で37・54キロである。
伊賀者の歩行術といわれる不及流歩術で1日160キロ、神速歩行術を身につけていた伊勢・
芭蕉は、死後半世紀のうちに神格化され、芭蕉説話ともいうべき虚構性の強い逸話が量産された。にもかかわらず、速歩の忍術を使って忘れ物を取ってきたり、

吉丸雄哉・人文学部准教授
日本近世文学。東京大院修了。国際忍者学会の運営委員(編集)を務める。