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    上下関係の撤廃で強豪に

    常盤木学園高サッカー部(仙台市青葉区)

    • 全日本高校女子サッカー選手権大会を控え、松島町の松島フットボールセンターで練習する常盤木学園サッカー部の選手ら
      全日本高校女子サッカー選手権大会を控え、松島町の松島フットボールセンターで練習する常盤木学園サッカー部の選手ら

     12月、仙台市泉区にある常盤木学園高校サッカー部のグラウンド。約60人の選手たちが全身から湯気を発しながら、パス、シュート、ドリブルといった練習を繰り返していた。

     パイプ椅子に座った阿部由晴監督(51)が、厳しい視線を送り、気が抜けたプレーに喝を入れる。だが、3時間の練習でそうした光景は数えるほどだ。自分が意図する型にはめ込むよりも、選手の持ち味を伸ばすことを重視しているかのように見える。

     一連のメニューが消化され、阿部監督が去ったグラウンドでは、選手たちが片づけをしながら、そこかしこで小さな輪をつくり始めた。「センタリングの精度をもっと高めないと」「ゴール前への詰め方を決めよう」。ここでの議論に、監督は介在しない。学年による意見の強弱もない。チーム力を向上させるため、選手同士が意見を出し合っている。

     「特別なことは、何もしていない」と阿部監督は素っ気ない。しかし、全日本高校女子サッカー選手権大会で全国最多の5回優勝、女子サッカーのトップリーグ「なでしこリーグ」2部に高校レベルから唯一参戦し、優勝するといった実績を生み出している秘訣(ひけつ)が「個性を徹底的に生かすサッカーの実践」にあることは、県サッカー関係者の間で一致するところだ。

     もちろん草創期の苦しみはあった。

     阿部監督は1995年に就任した。当時、サッカー部は部員わずか5人で、全員が入学後にサッカーを始めた初心者。その2年後、1年生の経験者7人が入部して11人を超えたが、学年と経験のバランスが崩れ、このままではチームになれるかどうか分からない。そこで、「学年による上下関係の撤廃」をした。

     当時はまだ「なでしこジャパン」の名も知られず、女子サッカーがほとんど注目されなかった時代。にもかかわらず阿部監督は上級生に対しても、試合に出場し、勝利をつかみ続ければ、日本代表も夢ではないと説いた。そのためには学年や経験の差を乗り越え、個性を結び付けていく必要があると訴えた。

     全員の同意を得て歩み出した後、ピッチでは学年に関係なく呼び捨てとなり、どなり合いもしばしば。大会では、試合に出場できない上級生が裏方に回り、ボール拾いなどをこなした。だが、サッカーへの情熱、プレーしたいという意欲を引き出す効果はあったようだ。当時3年生だった後藤小百合さん(34)は、「監督は初心者の私も選手として扱ってくれた。上下関係を気にせず、『試合に出て勝ちたい』との思いでチームになれた」と振り返った。

     戦う集団へと生まれ変わったサッカー部に優秀な人材が集まるようになったのは、それからのことだ。

     2012年9月から10月にかけ、アゼルバイジャンで開かれたU―17女子ワールドカップ。3年の伊藤美紀選手(18)は、日本代表MFとして1試合に出場した。

     青森県おいらせ町出身。チームの中心だった中学時代とは打って変わり、入部した当初は練習について行くことだけで精いっぱいだった。競り合いで圧倒されたり、プレーを選択する判断が遅かったりと、連日、課題ばかりが積み重なる。親元を離れ、仙台での寮生活にも慣れなかった。

     そんな窮状に手を差し伸べてくれたのは、先輩たちだった。不慣れな1年生に代わって、グラウンド整備やボール磨き、遠征での荷物持ちといった裏方の仕事を率先して引き受けてくれたり、「がむしゃらにやればいい」と励ましてくれたり……。運動能力、サッカーの技術といった個の力だけでなく、互いをサポートし合う精神も、ここでは求められていると感じた。

     営々と育まれてきた「常盤木イズム」を、伊藤選手も次代に引き継ぎたいと思っている。(田辺里咲)

    2014年01月08日 23時55分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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