未知の世界 女王へ加速
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◇グラビアアイドルから転身した女子競輪選手 日野 未来さん 25
頭を低く抑え、空気抵抗を減らして自転車と一体になる姿勢で、速く、力強く、ペダルをこぐ。バンク(コース)を駆け抜ける姿は堂に入っている。日本競輪選手会奈良支部所属の女子選手として7月7日にデビュー。その約1週間後には、初勝利を挙げた。
自転車から降りると、隆々とした
「2年前までは細く見せるために、食事も我慢してました」と愛くるしい笑顔を見せた。120人以上いる女子選手の中で、グラビアアイドルからの転身という経歴は異色の存在だ。
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子どもの頃からアイドルになりたかった。17歳の時、福岡のアイドルグループで活動。その後、上京して20歳でグラビアアイドルとしてデビューを飾った。
転機は、2014年にゲスト出演した競輪のインターネット番組。収録で訪れた千葉市の千葉競輪場で男子選手のレースを見て、「自転車がこんなに速いのか」と驚いた。休日も競輪場に通い、女子選手の「ガールズケイリン」を知った。男子は階級制だが、12年に始まったガールズケイリンは全選手同じ階級で競う。
グラビアアイドルとして、「憧れの世界で活動している誇りはあった」。だが、将来に漠然とした不安も抱えていた。「努力すればトップを取れる可能性があるし、やってみたいと思った」。思い切って未知の競輪の世界に飛び込んだ。
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やりたいことに向けて「とことん突き進む性格」。競輪選手になるには、資格取得のため日本競輪学校に入る必要があった。実技もある入試に受かるには、現役競輪選手に弟子入りするのが一番とわかり、各地の競輪場を見て回って「奈良のバンクが、練習するのにいいんじゃないかと決めた。地元だと甘えが出ていたかもしれない」と縁もゆかりもない奈良の地を選んだ。申し込むと、佐藤成人選手(44)が師匠として面倒を見てくれることになった。
16年春に芸能事務所を退社し、奈良での練習生活に入った。競輪に魅了されたが、スポーツは未経験。最初はペダルと足を固定するベルトに苦戦し、乗り降りもままならなかったが、佐藤選手が根気よく指導してくれた。7か月ほどで1000メートルのタイムが合格ラインの1分16秒台になり、入試は一発合格。競輪学校では「時間の乱れはレースの乱れにつながる」と時間に厳しく、競輪漬けの生活を送った。今年3月、卒業した。
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最初に飛び出し、先頭のまま逃げ切ってゴール――。理想とするレース運びだ。「最初から最後まで先頭を走るのは難しいけれど、初めて見たレースが逃げ切る展開ですごく格好良くて、自分もしたいと思った」という。
7月7~9日の奈良競輪場でのデビュー戦。緊張して本来の力が発揮できず、決勝を逃した。悔しさを抱え、迎えた7月14~16日の岸和田競輪場(大阪府岸和田市)でのレース。予選は振るわず、3日目。決勝進出できなかった選手で争う一般レースに出場した。「ここで勝てないと、今後も決勝なんて進めない」と奮起。ペースを見ながら残り1周で一気に速度を上げて先頭に出て、外からの追い上げをかわして逃げ切った。
初勝利。理想の形で勝ったことが大きかった。「決勝進出を目指し、車券を買ってくれる人が後悔しない走りをしたい」と大きな瞳を輝かせた。〈未来の女王〉を夢見て、新たなステージでの挑戦は始まったばかりだ。
<ひの・みらい>
1993年、大分市生まれ。2010~12年、福岡市を拠点とするアイドルグループ「HR」のリーダーなどの活動を経て、グラビアアイドルに。今年3月に日本競輪学校(静岡県伊豆市)の114期生として卒業。在学中には記録会で持久力、スピードともに優れた選手に与えられるゴールデンキャップを獲得した。
◇<取材後記>行動力と根性輝く
「自分の行動力に感謝です」。そう話す笑顔がまぶしかった。華やかな芸能界から、公営競技の競輪という勝負の世界への転身は、想像していたよりも相当ハードだと思っていたからだ。だが、違った。ある意味、どちらも人気商売。負けず嫌いの彼女の性格には、楽しい日々らしい。
1日のほとんどを練習時間に充て、車体整備は当然自分でこなす。マッサージなど練習後の体の手入れは、運動経験のある競輪学校の同期生に教えてもらったという。その姿に、何か新しいことを始めようとすると、失敗した時のことばかり考えてしまう自分を省みた。
年間獲得賞金額の上位選手らが女王を争うグランプリ出場を目指していると聞いた。しかし、8月末に練習中の落車事故でけがをしたという。持ち前の根性で復帰した彼女が、その舞台に立つ日を楽しみに待ちたい。(岡本久美子)