<上>同じ道歩き 深まる思い

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 父母ちちははに 知らせぬゆゑ 三宅道みやけぢの 夏野の草を なづみ来るかも

 両親にも教えていないいとしい女性に会うため、茂った夏草をかき分けてゆく、一途いちずな恋心。万葉集に詠まれたこの歌に登場する「三宅道」こそ、太子道と考えられている。

 太子道には二つのルートがある。法隆寺を起点に太子生誕の地・橘寺(明日香村)までの24キロと、大阪・磯長しなが御廟所ごびょうしょ(大阪府太子町)までの20キロ。太子が政務のため斑鳩宮から飛鳥の小墾田宮おはりだのみや(明日香村)まで通った「通勤路」と、太子のひつぎを運んだ「葬送の道」だ。中でも、飛鳥へと続く三宅町屏風から田原本町保津までの約3キロは道が住宅地を斜めに通り、今も面影をよく残す。

 ◇

 「この辺りから、二上山に沈む夕日がきれいに見える。太子さんもきっと足を止め、美しい光景に見入ったことでしょう」。三宅町屏風で生まれ育った馬場武信さん(75)は思いをはせる。地名の「屏風」は、ここで休憩した太子のために風よけの屏風を立てて、もてなしたことに由来するという。他にも、太子が座った「腰掛こしかけ石」、矢で射たところから飲み水が湧いてきたという「屏風の清水」など、屏風には伝承がいくつも残る。

太子道をたずねる集いで、太子像を先頭に歩く参加者(昨年11月、川西町で)
太子道をたずねる集いで、太子像を先頭に歩く参加者(昨年11月、川西町で)

 2012年、かつてあった太子像が地元の白山神社によみがえった。高さ1・4メートル。太子が従者の調子麿ちょうしまるを従え、愛馬の黒駒にまたがる。1930年に造られた銅像は、戦時中の金属供出で失われ、写真を基に復元した。「太子道をまちおこしに役立てたい」という機運が高まり、当時、屏風の自治会長だった馬場さんも復活に奔走。町などからの補助金約500万円で収まるよう、自ら制作会社に掛け合った。

 馬場さんは「このあたりを太子さんが通った」と聞いて育った。「日本という国の礎を築かれた方を身近に感じられるのが我が郷土の誇り。次の世代にちゃんと伝え残さないといけない」と気を引き締める。

 ◇

 法隆寺が「太子道をたずねる集い」を始めたのは1997年。命日の2月22日は御廟、月命日の11月22日は橘寺まで歩く。一行が到着すると、沿道の計10市町村の担当者や住民らが出迎える。

復元された太子像を見上げる馬場さん(三宅町屏風で)
復元された太子像を見上げる馬場さん(三宅町屏風で)

 三宅町では、町や自治会などが実行委員会を組織し、町を挙げて歓迎行事を行っている。子どもたちの和太鼓演奏や、住民グループが舞踊などを披露し、かゆや湯茶などを振る舞う。王寺町では、観光協会などが接待する。

 香芝市では、地元の給食会社会長の山下昌亮さん(81)、温子さん(76)夫婦が10年以上、かす汁の振る舞いを続けている。山下さんは「『おいしかった』と言われたら、こちらもうれしくてね。太子さんがつなぐ一期一会の出会いを大切にしていきたい」と語る。

 集いが始まってから今年2月で43回目を迎えた。先頭を進む太子像に「おたいしさん」と親しみを込め、手を合わせる住民がいる。道沿いに、「太子道」と書かれた道案内の標識も増えた。

 法隆寺の大野玄妙管長(70)は「沿道の人々の太子様への思いの深さを感じる。太子道を1日かけて歩くことで、太子様を改めて見つめ直す強い体験にもなる」と話す。

 1400年の時を超え、太子道は今でも沿道の人々をつなぐ。

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21394 0 法隆寺‐太子道‐ 2018/05/12 05:00:00 2018/05/12 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180511-OYTAI50016-T.jpg?type=thumbnail

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