保存財団50年 活動模索
完了しました


明日香村の歴史遺産
■設置政財界一致で
〈明日香を守ることは、いわば
明日香村の歴史的風土にひかれて大阪から明日香村に移住した目の不自由な
佐藤首相は同年6月、早速、村を視察して御井さんにも会い、明日香の保存を12月に閣議決定。翌年4月には飛鳥保存財団(現・古都飛鳥保存財団)が設置され、松下さんが理事長に就いた。財団の杉平正美事務局長(67)は「現在では考えられないような、政財界が一致したスピード感のある動きだった」と振り返る。
それまで明日香は里山に囲まれて田畑が広がる静かな農村地帯で、観光地化されていなかった。突然、爆発的なブームが起こり、全国から大勢の観光客を集めることになる。財団設立の翌年、高松塚古墳で極彩色壁画が発見されたからだ。
財団は高松塚壁画の発見を追い風に、様々な取り組みを続けた。研修宿泊施設「
■ブーム下火かさむ赤字
今年4月、財団は設立50周年を迎える。だが、財団を巡る環境は、大きく変わってしまった。
国営飛鳥歴史公園内で唯一の宿泊施設だった祝戸荘は、1月末で宿泊利用を休止、運営管理を担う新たな事業者を探している。2021年度から高松塚壁画館の運営も取りやめる。いずれも理由は予算不足だ。
財源を基金の利子や寄付金などで担ってきたが、低利や寄付金の減少などから、近年は年間約5000万円の赤字が続く。赤字の圧縮が喫緊の課題だ。
小川陽一常務理事(67)は「財団設立時は、考古学がブームとなり、社会全体が歴史・文化に目を向け、国や財界も明日香を特別な場所だと認識し、支援してくれた。半世紀たって関心が薄れてしまった」と嘆く。
■「役割終わっていない」
だが、小川常務理事らは財団の役割はまだ終わっていないと確信している。設立趣意書にこう書かれている。「飛鳥の保存」は「民間においてこそ効果的に実施しうる」のだと。民間の力を代表する財団をどう存続させ、活動を発展させるか。苦しみながらの模索が続く。(関口和哉)