高松塚壁画 劣化との闘い
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明日香村の歴史遺産


「日本考古学最大の発見」と言われ、古代史ブームを巻き起こした高松塚古墳(明日香村)の極彩色壁画。だが、2004年に劣化が発覚し、修復には約12年の歳月が費やされた。歴史遺産の持つ価値の大きさと同時に、保存の難しさを象徴する存在になった。
■発見あふれる見物客
高松塚古墳は1972年3月、橿原考古学研究所(現・県立、橿考研)の所員だった
橿考研技術アドバイザーの西藤清秀さん(67)は当時、関西大に入学したばかりだったが、「人手が足りない」と先輩に誘われ、調査で測量などを手伝った。「発掘調査に参加しただけでうれしかった」と振り返る。
発見の前年、現在の古都飛鳥保存財団が設立されていた。杉平正美・事務局長(67)は「高度経済成長の中で、昔ながらの風景や貴重な遺跡を守る機運が高まっていたが、壁画の発見が更に後押しした」と語る。
73年には寄付金付きの記念切手が販売され、売り上げから経費を除いた約6億7400万円が財団に寄付された。壁画は一般公開されなかったため、その寄付金を元に77年、古墳の隣接地に壁画の模写を展示する高松塚壁画館が開設された。
■大量のカビ
しかし、現地保存された壁画は、やがて大量のカビに覆われる。2007年、修復のため、石材ごと近くの仮設修理施設に移された。文化庁は古墳に戻す計画を示したが、戻せばカビの発生などを抑えられないとして、事実上断念。20年3月には修復が完了した。
■管理方法検討重ね
文化庁の有識者会議は現在、古墳近くに整備する保存管理施設について検討を重ねている。石室を構成する16個の石材すべてを公開し、ガラス越しに見学することを想定。出土遺物や墳丘断面の土層などの展示も検討している。ブームを生み出した壁画は、保存から活用に向けて進んでいる。
壁画の発見翌年から考古学を志す学生が急増したという。西藤さんは「私も先輩から『高松塚古墳の落とし子』とからかわれたが、これほどまでに人を引きつける発見はない。多くの人に素晴らしさを感じてもらえる状態になることを願う」と語る。(土谷武嗣)