島庄遺跡で建物跡、石組み溝
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明日香 7世紀中頃~後半の遺構
明日香村の島庄遺跡で、飛鳥時代の7世紀中頃~後半のものとみられる建物跡や石組み溝などが、県立橿原考古学研究所の調査で出土した。島庄遺跡は7世紀前半は大豪族・蘇我馬子の邸宅で、その後、天智天皇らの離宮・島宮になったとみられており、島庄遺跡の実態を解明する手がかりになるという。

県道整備に伴い、約660平方メートルを発掘。幅2・5メートル、奥行き3・5メートルの建物の一部や、長さ約6メートルの塀跡などが出土した。また、幅1・5~1・9メートル、長さ8・5メートルの石組み溝も見つかった。
出土遺物は少なく、建物跡などの方向が、東西南北から斜めを向いている特徴などから時期を推定した。
天智天皇の祖母にあたる吉備姫王は日本書紀に、646年に没した際、「吉備嶋皇祖母」と記されており、「嶋」という名称から島宮に住んでいた可能性が指摘されている。遺構は島宮の一部の可能性もあるという。
調査地は蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳の西約270メートル。現場は埋め戻されており、現地説明会などはない。
相原嘉之・奈良大准教授(考古学)の話「島庄遺跡は広大で、全容はわかっていない。建物は、吉備姫王が住んだ邸宅の一部の可能性もある。島庄遺跡の広がりや、どのように変遷したのかを考える資料になる」