<東日本大震災10年>発掘文化財 「復興の力に」
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橿考研・主任研究員 東影さん


東日本大震災後、多くの人たちが被災地の復興に携わった。県立橿原考古学研究所(橿考研)の主任研究員、
支援事業で成果 宮城で横穴墓50基
「地震の恐ろしさは身にしみていた」。1995年1月の阪神大震災で、中学2年だった東影さんは神戸市灘区の自宅マンションで被災した。がれきと化した街並み、燃え広がる火事が記憶にしみついている。
99年、東北大(仙台市)に進学した。「地震が少ないのではないか」という思い違いもあったが、在学中は考古学を学び、宮城県内各地の遺跡を見たり、発掘を補助したりして、考古学の面白さを教えてもらったかけがえのない場所になった。
2007年に橿考研に入り、奈良県内の発掘調査を担当。11年3月、震災が起き、「よく知る街が津波にのまれた。阪神大震災のとき以上に大きなショックを受けた」と振り返る。
1年後、仙台市や宮城県石巻市などを回った。沿岸部では、道路に船が乗り上げたままで、津波の爪痕が生々しい。「復興はこれから。自分も何か役に立ちたい」との思いを強くした。
文化庁の支援事業で橿考研から3人が宮城県教育委員会に派遣されることになり、東北に縁があったことから、その1人に選ばれた。14年10月、宮城県南部にある山元町に向かった。
現地では、津波に備えた住宅の高台移転に伴い、合戦原遺跡を調査。半年にわたり、岐阜県や福井県などの職員も含めた7人で約6350平方メートルを発掘した。
一緒に調査した地元の作業員らには、家をなくしたり、身内を亡くしたりした人もいた。「心身の負担は重いはずだが、『来てくれてありがとう』と感謝してくれた。大学時代の恩返しのつもりだったのに、逆に元気をもらった」
調査の結果、古墳時代終末期から奈良時代にかけての横穴墓約50基などを見つける成果を上げた。帰任後、別の横穴墓から鳥や人を描いた線刻画が見つかり、大きなニュースにもなった。「発掘が復興を遅らせるという声も聞いたが、貴重な文化財が発見され、少しは役に立てた」と安心する。
東影さんは、震災から10年を迎え、思いを新たにしている。「二つの震災を通して知ったのが、つらさや悲しみを乗り越え、前向きに生きていくことの大切さ。これからも生かしていくことは多い」