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高市大寺 木之本廃寺説

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高市大寺の推定地。現在は集落になっている(橿原市で)
高市大寺の推定地。現在は集落になっている(橿原市で)
木之本廃寺の瓦(橿原市の奈良文化財研究所藤原宮跡資料室で)
木之本廃寺の瓦(橿原市の奈良文化財研究所藤原宮跡資料室で)

奈良大・相原准教授提唱

 奈良時代の国家筆頭寺院、大安寺(奈良市)の前身で、どこにあったか不明だった飛鳥時代の寺院、高市たけち大寺について、奈良大の相原嘉之准教授(考古学)が文献資料や出土した瓦から、天香久山北西にあったとみられる橿原市の木之本廃寺が最有力だとする説をまとめ、「奈良大学紀要第49号」に発表した。〈幻の大寺〉の所在地を巡り、改めて議論が起きそうだ。(関口和哉)

文献や瓦などから推測

 高市大寺は、日本書紀に、天武天皇が673年、「造高市大寺司(高市大寺を造る役人)」を任命した記述があり、677年までに創建されたとみられる。その前身は、天武天皇の父・舒明じょめい天皇が639年に建立を発願したわが国初の国営寺院、百済くだら大寺で、「高市」の地に移建、高市大寺と寺名変更。さらに大官大寺と寺名を変えている。

 699年、文武天皇が別に大官大寺を建立したが、完成を待たずに焼失。710年、高市大寺(大官大寺)は平城遷都とともに平城京に移転し、大安寺と寺名を変えて現在に至る。

 これまでの発掘調査で百済大寺は、桜井市の吉備池廃寺とわかっており、文武天皇の大官大寺跡も明日香村などで確認された。高市大寺の場所だけがわかっていなかった。

 天香久山北西にあったとみられる木之本廃寺では、奈良文化財研究所の調査で百済大寺と同じ瓦が出土。寺院遺構は確認されていないが、相原准教授は、瓦の種類や、仏の姿を浮き彫り状にした「●仏」が出土したことなどから、瓦の集積地や瓦窯跡ではなく、付近に古代寺院が存在したのは確実だと指摘する。

 また、高市大寺は、発掘された大官大寺跡に近いと考えられ、木之本廃寺がふさわしいと説く。

 瓦の分布などから、具体的な配置も推定。橿原市下八釣町の集落とその北方の水田のある地帯に、塔と金堂が東西に並び、北側に講堂がある百済大寺と同じ伽藍がらんがあったとした。

 一方、奈良文化財研究所は、木之本廃寺から寺院遺構が見つかっておらず、場所も古代の「高市郡」に含まれていないことを重視し、「高市大寺の可能性は低い」としている。

 相原准教授は「高市大寺は、わが国の国家寺院の系譜上、重要な位置にあり、国家形成における寺院の役割を考えるうえでも重要だ」と強調。今後の調査の進展に期待している。

(●は土へんに専)

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2037974 0 ニュース 2021/05/09 05:00:00 2021/05/08 23:59:19 2021/05/08 23:59:19 高市大寺の推定地。現在は集落になっている(橿原市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/05/20210508-OYTNI50032-T.jpg?type=thumbnail

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