墜落「紫電改」の部品公開 竹田

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鎮魂碑前に設置された展示ケース
鎮魂碑前に設置された展示ケース
展示ケース内には保存処理されたギアなどが並ぶ
展示ケース内には保存処理されたギアなどが並ぶ

 太平洋戦争末期の1945年5月5日に米軍爆撃機B29と交戦し、大分、熊本両県境付近に墜落した旧日本海軍の戦闘機「紫電改」。その残骸とみられる金属片などを竹田市久保の住民らが発見し、墜落現場近くにある搭乗員の鎮魂碑前で展示を始めた。住民たちは「戦争の悲惨さを後世に伝え、平和を守っていく一助にしたい」と願っている。

 竹田市誌などによると、紫電改に搭乗していた埼玉県所沢市出身の粕谷欣三・一等飛行兵曹(当時19歳)が死亡。B29も竹田市平田に落ちた。米兵の生存者は捕虜となり、「九大生体解剖事件」で犠牲になった。

 残骸の捜索は、鎮魂碑の近くに住む小林正憲さん(70)が発案した。戦時中の外国人捕虜を調査している民間団体「POW(Prisoner of War)研究会」(東京)のメンバーが協力。金属探知機を使って墜落現場の川付近で残骸を探した。

 昨年4月から1年間で計10回実施。旋回性能を上げる「自動空戦フラップ」の一部やベルトの留め具、金属製ギア、ガラス片など約50点が見つかった。フラップを愛媛県愛南町の「紫電改展示館」や熊本県に住む元整備士に照合してもらった結果、紫電改の部品として使われていたことが分かったという。

 小林さんらは残骸の腐食が進んでいたため、竹田市教委を通じ、県立歴史博物館(宇佐市)に保存処理を依頼。担当した学芸員の石川優生さん(33)は「大変貴重な資料。後世に残せるよう腐食防止処理を施した」と話す。

 寄付金などで鎮魂碑前に展示ケース(縦約30センチ、横約60センチ、高さ約30センチ)を設置。保存処理を済ませたギアなどを収めた。小林さんは「戦争遺産として守り続けていきたい」と語る。

 捜索活動は今後も続ける予定。県立歴史博物館も残骸の保存処理を続け、材質の科学的分析を進める。小林さんらは展示品を随時入れ替えながら公開していく。(江上純)

<九大生体解剖事件> 1945年5、6月、日本軍の指示により九州帝大医学部で米軍の捕虜8人に実験手術が行われ、全員が死亡した。日本軍将校や教授ら23人が軍事裁判で絞首刑などの有罪判決を受けた。その後減刑され、死刑を執行された人はいない。事件は遠藤周作の小説「海と毒薬」の題材にもなった。

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