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シンガー・ソングライター 沢 知恵さん 50 (岡山市北区)
歌手活動と並行し、岡山大大学院で「日本のハンセン病療養所の音楽文化」をテーマに研究し、修士論文で各療養所の園歌などについてまとめた。「抑圧と解放のはざまで生まれた音楽。国が進めた隔離政策を正当化する一方、療養所への帰属意識を高めたり、入所者同士の連帯感を強めたりする効果もあった」と考察する。
神奈川県出身。国立療養所「大島青松園」(高松市)とは、親子3代にわたり関わってきた。英語教師だった祖父は同園の月刊誌に寄稿しており、父親もキリスト教の牧師として頻繁に同園に足を運んでいた。その父親に連れられ、1971年、生後6か月で同園を初めて訪れた。
ハンセン病は感染力が極めて弱いが、「不治の病」や「遺伝病」などと呼ばれ、誤った隔離政策が長く続き、断種手術を強いられる人もいた。「入所者は教会でハイハイする私を珍しがって見ていたが、近寄らなかったそうです」と語る。久しぶりに目にした赤ちゃんへの接し方がわからず、父親に促されてやっと抱き上げてくれたという。
その後、一家は韓国や米国に渡り、一時期、交わりが途絶えた。帰国後、東京芸術大に在学中の91年に歌手デビューして活動を続けるなか、父親や祖父の
7年前、同園や「長島愛生園」(瀬戸内市)にほど近い岡山市に千葉県から移住。療養所という閉鎖された空間で生まれた歌が入所者の生活に与えた影響を調べようと、自宅に近い岡山大大学院の門をたたいた。
文献にあたるだけでなく、現地調査を丹念に行い、全国にある13の国立療養所で23の園歌が作られたことを明らかにした。中には、童謡「赤とんぼ」で知られる山田耕筰が作曲した園歌もあった。
園歌以外にも、長島愛生園の「愛生園少年団歌」のような楽曲も残っていた。団歌には「祖国浄化のためならば」という一節がある。そのほか、「民族浄化」「一大家族」という言葉が入った曲も確認された。
入所者は聞き取りで、「故郷から引き裂かれた少年期に、『一大家族』は好きな言葉やったな。親なし子だったから」「祖国浄化のためにここに来たんやと、ずっと思うようにしとった」と証言。これらを踏まえ、「権力構造により押しつけられた歌だったが、声を合わせて歌うことで慰められ、懸命に生きた日々を肯定し、受容してきたのではないか」と考えている。
全国の療養所では高齢化が進み、入所者が減っている。「差別の歴史を継承するためにも、多様な音楽文化を後世に伝え、人間にとって音楽とは何かを問うていきたい」。現在、修士論文をもとにした本の出版を計画している。(藤沢一紀)