復興担う「一家の大黒柱」
完了しました

◇測量士 須増 拓哉さん 30
グニャリと曲がったガードレールが道路脇に残されていた。アスファルトがめくれ、茶色い土がむきだしになっている。倉敷市真備町妹の谷あいを通る市道。測量会社に勤める須増拓哉さん(30)は昨年12月、三脚に測量機器を設置した。
「トータルステーション」と呼ばれる機器で、レーザー光線を2点間で往復させて距離を測定する。被災後の状態を図面に再現し、被災前と比較して復旧に必要な土砂の量を算出している。少しのずれも許されない
拓哉さんはレンズを見つめながら、祖父清四郎さん(当時92歳)のことを思った。
拓哉さんは4年前、真備町
江戸時代から続く須増家。清四郎さんは仕事一筋に生きた人で、地元の農協や社会福祉法人で役員を務めた。地域の顔として、現場に足しげく通い、穏やかな人柄で住民から慕われた。
「拓哉くん、一緒に飲まんか」。約10キロ離れた市街地に住む拓哉さんが顔を出すと、ニコニコしながら杯を差し出してくれた。
いつもテーブル越しに向き合って座る。拓哉さんの長女(2)の成長ぶりを聞いては目尻を下げた。
婿養子の立場について詳細に聞かされた記憶はない。ただ一言。「みんなに認められるには仕事しかない」。杯をあおりながら、優しく語ってくれたのは覚えている。
あの日。足が悪かった清四郎さんは逃げ遅れ、濁流にのまれて亡くなった。清四郎さんと2人でいた義母(60)とは、流される直前まで1時間近く電話で話しており、落ち着くよう励ましたが、救えなかった。
拓哉さんは仕事を休み、全壊した清四郎さん宅周辺を掘り起こして遺品をさがした。須増家の
「そろそろ戻れそうか」。職場からの電話が入った。勤め先の「大地測量」(倉敷市幸町)には復旧工事の仕事が殺到していた。7月下旬、心の整理がつかないまま戻ると、次々と現場に派遣された。
元々は田んぼや宅地の境界確認などが主で、災害現場に出るのは初めて。
朝から晩まで測量を繰り返した。堤防が大きくえぐれた河川、土砂崩れで寸断された道路……。そこには、県内で約1万6000戸を浸水させ、66人(災害関連死を含む)の命を奪った豪雨の爪痕が刻まれていた。
真備町だけでなく、高梁市、新見市なども飛び回った。
この測量が完了しなければ工事を始めることはできない。「いつ復旧するんですか」と住民から切実な表情で問われ、復興に関わる仕事の重みを実感した。「いつまでも悲しみを引きずっていてはいけない」と気持ちを奮い立たせた。
年末、清四郎さんが作り直した須増家の墓を家族で訪れた。跡を継いだという実感はまだないが、打ち込める仕事には出会えたと思っている。「一家の大黒柱として、しっかりと家族を養っていきます」。祖父の墓前にそう誓った。(大背戸将)
◇23年度までに河川整備
西日本豪雨では、昨年7月3~8日までの累計降水量が県北地域を中心に400ミリを超え、下流域の倉敷市真備町などを流れる小田川や支流3河川の堤防が決壊した。
小田川では、11月に決壊箇所の本格復旧工事に着手。小田川の水位を下げるため、流れ込む高梁川との合流点を付け替える工事については、2023年度までに332億円かけて完成させる計画で進めている。
支流3河川の末政、高馬、真谷に関しては、県が同じく23年度までに総工費89億円で堤防のかさ上げや拡幅を実施する。特に危険度が高い決壊箇所は今月中に着工し、増水する梅雨期までに終わらせる予定。
県管理の河川は県内795か所で被災。うち91か所が昨年10月末段階で復旧工事に着手している。