医療の核 復興道しるべ

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まび記念病院の屋上からは復興に向かう町並みが広がっていた(昨年12月27日)
まび記念病院の屋上からは復興に向かう町並みが広がっていた(昨年12月27日)
被災体験を話す村松院長(昨年12月、津山市内で)
被災体験を話す村松院長(昨年12月、津山市内で)
まび記念病院の屋上から撮影した真備町の町並み。住宅の1階部分がほぼ水没している(昨年7月8日午前7時18分)
まび記念病院の屋上から撮影した真備町の町並み。住宅の1階部分がほぼ水没している(昨年7月8日午前7時18分)
院内では、1階ロビーが水没し、2階近くまで水位が上がった(昨年7月7日午後3時2分)
院内では、1階ロビーが水没し、2階近くまで水位が上がった(昨年7月7日午後3時2分)
ヘリコプターに患者を搬送する消防隊員(昨年7月8日午前11時17分)
ヘリコプターに患者を搬送する消防隊員(昨年7月8日午前11時17分)

 ◇まび記念病院 村松 友義院長 61

 「私たちの病院は、病院としての機能を完全に失い、(助ける側から)助けられる側となりました」

 昨年12月、医師や看護師ら医療関係者を集めて津山市内で開かれた研修会。マイクを握った一般病院「まび記念病院」(倉敷市真備町川辺)の村松友義院長(61)は、四方を水に囲まれたあの日の体験を静かに語り始めた。

 前夜から激しい雨が降り続いた7月7日。約3キロ北東にある工場が爆発し、その爆風で負傷した住民ら十数人が未明から次々と来院していた。

 対応が一段落した7日午前6時半過ぎ。「水じゃ」。敷地内に茶色い水が白い泡をたてて入り込んで来た。近くの川が決壊していた。慌てて全員を4階建ての病院の2階以上に避難させた。

 30分もしないうちに、外来の受付窓口や診察室があった1階で浸水が始まり、午前9時前には院内の電気が一斉に落ちた。固定電話やファクスも通じなくなり、スマートフォンが唯一の通信手段になった。

 2階から院内1階の受付ロビーを見下ろすと、水没している様子が見えた。蛇口をひねっても水道水は出ず、トイレの水も流れない。入院患者76人の衛生状態が心配で、「どうやったら院外に患者さんを助け出してもらえるか」と頭を巡らせた。

 そんなとき、自衛隊のボートで、住民が病院の2階テラスに相次いで運び込まれてきた。付近の民家は2階近くまで浸水し、多くの住民が屋根の上などに取り残されているため、自衛隊が離れた安全な陸地まで全員を運べなくなっていた。

 その晩、院内で過ごしたのは計335人。近隣からの避難者は212人に上った。夜食用におにぎり1個を振る舞い、夜を徹して患者らの受け入れ先を探した。

 8日朝。ボートで院外に運び出す作業が始まった。入院患者のうち、血液を浄化する人工透析の装置が使えず、命の危険がある9人を優先して消防ヘリで別の病院に避難させた。最後の避難者が運び出された時には夜になっていた。

 「まさか、これほど浸水するとは、被災前は全く想定していなかった。救出までの青写真は当時、実際何もなかった」

 講演では、率直な感想や、苦い体験も、包み隠さず話している。

 最も誤算だったのは、電力を供給する高圧受電設備を高さ1メートルの場所に設置していたため、水没して壊れたこと。真備町では約50年前にも水害があり、病院は市のハザードマップで5メートル以上の浸水可能性がある危険なエリアに立地していた。

 電源喪失により電子カルテが使えなくなり、入院患者76人全員の病状を数人の医師らと手書きでリストアップした。重症の人から優先的に避難させるためで、一人一人のカルテを作ったうえで、災害派遣医療チームに、電池の残量を気にしながらスマートフォンで伝えた。

 災害時に診療を続けるための業務継続計画(BCP)も院内で周知できておらず、「マニュアルのためのマニュアルに終わっていた」と、ありのまま打ち明けた。

 講演依頼があれば、できるだけ足を運ぶようにしている。他の医療機関にも、次の災害に備え、助ける側であり続けてほしいと願うからだ。

 病院では現在、2月1日の全面再開を目指し、1階の改修工事が急ピッチで進む。受電設備を高さ約4メートルまで上げ、BCPも真備町の実情にあったものに作り替えたうえで、訓練を実施しようと考えている。

 昨年11月に入院患者の受け入れを再開し、徐々に日常を取り戻しつつあるが、病院を訪れる患者の数は回復していない。被災前の6割ほどの水準にとどまっており、多くの被災者が真備町から離れて仮設住宅などで暮らしている影響が大きい、と考えている。

 「地域の核である病院が復旧すれば、街にもあかりが戻る。そのための道しるべになりたい」。そう願って、白衣に袖を通した。(斎藤孔成、おわり)

 ◇被災32施設 診療再開

 西日本豪雨で被災した医療機関は県内6市町の約40施設に上り、うち32施設が診療を再開した。6市町の内訳は、倉敷、岡山、総社、高梁、新見の各市と矢掛町だった。

 被害が大きかった倉敷市真備町では11施設が被災し、これまでに再開できたのは5施設のみ。再建途上や復旧の見通しがたっていない医療機関が4施設あるほか、1施設は町外に移転し、残り1施設は廃業した。

 県によると、医療機関の被災状況については、県への届け出義務がないため、正確な被災施設数を把握できていないという。

 <記者から>街の明かり 広がれ

 静かだった。まび記念病院の屋上から街を眺めた昨年7月8日早朝のこと。雨が上がった空の下には、泥の海が一面に広がっていた。動くものはない。ただただぼう然と見つめた。

 被災から半年を前にした先月27日、病院屋上の同じ場所に立ってみた。道路脇には泥が残っているのが見える。建物が取り壊された空き地もある。それでも営業を再開した店舗の駐車場や道路には車や人の姿があり、耳を澄ますと街の音が聞こえてきた。

 忘れられないシーンがある。「あの日」、浸水した街からボートで病院に運び込まれた住民を助け上げた人たちの必死な姿だ。避難者は200人近くに上った。院内にいた人たちは、力の続く限り、差し出された手を引っ張り上げた。誰もが想像すらできなかった災害に遭遇しながら懸命に助け合う姿がそこにはあった。

 復興に向けた歩みは、始まったばかりだ。ともる明かりはまだ少ない。だが街は少しずつ立ち直ろうとしている。その姿を街の人たちと見つめていきたい。(倉敷支局長 斎藤孔成)

61203 0 あゆむ 西日本豪雨 2019/01/06 05:00:00 2019/01/06 05:00:00 半年近くがたち、同じ場所から見た風景(12月27日、倉敷市真備町のまび記念病院で)=斎藤孔成撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20190105-OYTAI50032-T.jpg?type=thumbnail

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