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「永遠に残す」技・知恵結集<閑谷学校>

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講堂を支える柱にも、高度な技術が施されている(閑谷学校で)
講堂を支える柱にも、高度な技術が施されている(閑谷学校で)
三重構造の屋根の模型。指の先の突起物が備前焼のパイプ(閑谷学校資料館で)
三重構造の屋根の模型。指の先の突起物が備前焼のパイプ(閑谷学校資料館で)
隙間なく積まれた石塀。総延長は765メートルで、そのうち505メートルがかまぼこ形に築かれている(備前市の閑谷学校で)
隙間なく積まれた石塀。総延長は765メートルで、そのうち505メートルがかまぼこ形に築かれている(備前市の閑谷学校で)

 閑谷学校を創設した初代岡山藩主・池田光政は「学校を永遠に残してほしい」と遺言したとされる。遺志を実現するために、知恵を尽くして建てられた講堂や石塀などは、300年以上前の姿を今に伝えている。

 重臣・永忠 手法考案

 旧閑谷学校顕彰保存会事務局長の木山潤郎さん(67)によると、建築や学校運営の手法を考案したのは、光政から学校建設を命じられた重臣・津田永忠だった。「学校にはあらゆる所に永忠の配慮が感じられる」と話す木山さん。特に国宝の講堂は、当時の技術の粋が集められていると指摘する。

 講堂の内室を取り囲むように立つ10本のケヤキの丸柱(直径24センチ)は、あえて芯の部分を使っていない。表面と中心部では含まれる水分量が違い、乾燥するとひび割れが生じる。その予防のためだ。柱を立てる位置も工夫が見える。元々山の斜面だった場所を切り取り、露出した硬い岩盤の上に柱が設置されており、地震などの揺れにも強い。

 屋根も見所が多い。元は茅葺かやぶきだったが、黒瓦、備前焼瓦と変遷してきた。備前焼は1200度の高温で2週間かけて焼き締めるため、耐久性に優れる。1959~62年に北側の屋根の補修を行い、江戸時代に焼かれた瓦2万5000枚の状態を調べたが、多くは良好な状態で、半分程度は現在も使われている。

 目を引くのが、腐食を防ぐ方法だ。下地となる板の上に流し板を張り、そこに瓦を積む三重構造になっている。流し板には備前焼のパイプが備え付けられ、瓦のずれや割れが生じても雨水などを排出する仕組みになっている。パイプは通風口の役割も果たしており、朝晩の寒暖差が大きく結露が生じやすい山あいにある木造の建物を、天敵の湿気から守っている。

 各施設を取り囲む石塀は大半がかまぼこ形になっている。地震などで激しく揺れても欠損しないためのアイデアだ。地中深くまで掘られた穴の上に「カミソリの刃も通らない」と言われるほど隙間なく石が積まれている。

 防火対策も徹底している。講堂建築で生じた土砂で、西側に人工の山「火除山ひよけやま」を造った。1847年、敷地の西端にある教師や生徒が生活する学房が燃える火事があったが、火除山が壁となり、東側の建物群は延焼を免れた。

 米など売り運営費に

 「しっかりした建材を使い、なるべくメンテナンスのいらない構造にすることで、長く良い状態で使うことができた」と木山さん。さらに経営を藩から切り離し、学校の南5キロまでを学校林と学校田にし、木材や米を売って学校存続のための運営費に充てていた。仮に財政が苦しくなったり、藩が改易されたりしても、学校を残すためだった。

 行政マンとして県庁に長年勤めた経験のある木山さんは、しみじみ思う。「トップの描いた計画を着実に実行に移した永忠の功績は計り知れない。先見の明や行動力は、見習うべき点が非常に多い」(水原靖)

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使い方
1634465 0 New門@岡山 2020/11/18 05:00:00 2021/06/05 15:16:26 2021/06/05 15:16:26 講堂内部を支える柱の一部(講堂で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/11/20201118-OYTAI50000-T.jpg?type=thumbnail

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