読売新聞オンライン

メニュー

常ににぎわいの中心<表町商店街>

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

 岡山市中心部にあり、多くの市民が買い物に訪れる「表町商店街」。南北約1キロ、東西約0.4キロの商店街は、400年を超える歴史を持つ。太平洋戦争による市街地の焼失などもあったが、常に岡山のにぎわいの真ん中にあり続けた。その歩みを振り返り、今後を考える。(滝沢清明)

かつては表八ヵ町

 商店街の歴史をさかのぼると、織田信長や豊臣秀吉の時代に行き当たる。岡山を支配した戦国大名・宇喜多家が城下町を整備した際、多くの商人や職人を呼び寄せたのが原点とされる。その後、岡山藩主は小早川家、池田家と移り変わったが、中心地として繁栄を続けた。

 協同組合連合会岡山市表町商店街連盟によると、1903年(明治36年)に8町が集まって大売り出しを行ったのをきっかけに、「表八ヵ町」と呼ばれるようになった。おなじみの「大誓文払い」の出発点とも言える行事で、上方のものを岡山でも取り入れた。

 現在は上之町、中之町、下之町、栄町、紙屋町、西大寺町、新西大寺町、千日前で構成されるが、千日前は戦後、橋本町(現・京橋町)に代わって加わった。橋本町は戦前、旭川の水運の拠点だったが徐々に鉄道など陸上交通が主流となる一方、千日前は映画館が建ち、にぎわいが移ったという。

天満屋登場~戦後復興

 商店街の<顔>として、多くの人が訪れるのが「天満屋」だ。小間物屋として出発した店が、百貨店として業態を整え下之町に登場するのは1925年(大正14年)。洋風木造3階建ての新店舗で呉服や洋服、化粧品など多くの商品を扱い、食堂もあった。

 こうした発展を、戦争が打ち砕く。1945年(昭和20年)6月29日未明、岡山市街は米軍の爆撃機による大空襲を受け約6割が焼失、1700人以上が犠牲になった。「天満屋百五十年史」(1979年)は、「見渡す限り焼野カ原」「天満屋は黒く焼けただれ」と惨状を伝えている。

 岡山市が市制100周年(1989年)を記念して刊行した「百年史」によると、戦後復興はヤミ市から始まった。今のJR岡山駅前や西川のほとりなど、市全域に露店などが並んだが、表八ヵ町では公然としたヤミ行為は少なかったという。

 天満屋は45年10月に営業を再開、百年史は「他店と異なり、ぜいたくな品も多く華やかさが感じられた」と、当時の様子を紹介する。翌46年には商店街の大売り出しも復活。49年に天満屋にバスステーションが完成すると、県内のあらゆる地域から人々が集い、さらなる発展につながった。

二つの商圏

 72年の山陽新幹線の新大阪―岡山間の開通を機に、岡山高島屋が岡山駅前に出店した。その後、大型店の出店が相次ぎ、岡山駅前と表町の商圏の二極化時代が到来した。

 この頃は表町も多くの買い物客でにぎわっていたが、車社会の到来とともに、駐車場を備えた大型スーパーの郊外出店が相次ぐとにぎわいが薄らいでいった。店主らの高齢化や後継者不足も加わって、店舗数も減少。かつては300を超えたが、今は280を下回るという。

 今、表町商店街が力を入れる取り組みは「まちゼミ」だ。店主らが商品について原則無料でレッスンや講座を開き、商品の良さを知ってもらう。表町商店街連盟の長谷川誠・理事長(62)は「店のファンを増やす試み。商品が必要になった時『買うならあの店で』となるようにしたい」と話す。

 2014年秋から年2回のペースで実施、毎回約40店が開催しており、再活性化への期待がかかる。

        ◇

 ニュースのポイントを解き明かす「New門@岡山」2月シリーズは、「表町商店街」をテーマに5回にわたって掲載します。

無断転載・複製を禁じます
1838982 0 New門@岡山 2021/02/13 05:00:00 2021/02/13 05:00:00 2021/02/13 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/02/20210212-OYTAI50030-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)