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天満屋 ともに歴史重ね<表町商店街>

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 創業から今年で192年を迎える天満屋。江戸時代の西大寺村が発祥の地で、表町商店街に呉服店として進出してくるのは1912年(大正元年)。以来、表町商店街とともに歴史を重ねてきた。

発祥と表町出店

1928年(昭和3年)頃の天満屋正面ショーウィンドー(天満屋提供)
1928年(昭和3年)頃の天満屋正面ショーウィンドー(天満屋提供)
百貨店として全国初となったバスステーション(1951年撮影、天満屋提供)
百貨店として全国初となったバスステーション(1951年撮影、天満屋提供)
現在の天満屋岡山本店(岡山市北区で)
現在の天満屋岡山本店(岡山市北区で)

 天満屋が1979年に発行した「百五十年史」によると、灰問屋の次男、伊原木茂兵衛が1829年(文政12年)、同村にくしやかんざし、糸など小間物を扱う店を開いたのが始まりとされる。灰問屋とは当時、建築用や薬用などに使われた苦汁にがりを販売する商売で、茂兵衛は、大阪で商人としての修業を積んだ後、天満屋を始めた。「あらゆる品物を薄利で、現金掛け値なしで多売する店」をつくるのが夢だったと伝わる。

 表町商店街への進出は3代・藻平の時で、中之町に呉服店を出した。百貨店としてのスタイルを整えるのは13年後の1925年(大正14年)。下之町の現在地に、十間四方(縦横約18メートル)の洋風木造3階建ての店舗を建設し、呉服、洋品雑貨、子供服など多くの品を扱った。開店日の3月10日は大混雑となり、やむなく入館制限をしたという。

苦難を乗り越え

 36年(昭和11年)3月11日、天満屋は大火に襲われる。本館3階から出た火は全体に燃え広がり、軍隊まで出動し消火に参加。死傷者はなかったものの、大きな損害が出た。しかし、立ち上がりは早く、18日後には近くの分館で営業を再開。10月にはすでに着工していた地下1階、地上6階建て、エレベーターや冷暖房装置も備えた売り場約1万3000平方メートルの新店舗を開店させた。屋上には小動物園のある「子供の国」も設けられ、親しまれる百貨店となるのに役立ったという。

 この新店舗は45年6月の岡山市街を襲った大空襲で焼け落ちたが、この時も復活は早かった。敗戦直後の9月1日には復旧工事に着手し、10月10日には店舗の一部で営業を始めた。当時の新聞は、「市民の気分を明るくするであろう」と報じたという。

発展の中心

 終戦から4年後の49年12月、店舗に隣接したものとしては全国初という百貨店のバスステーションを設けた。当時、会社ごとに分散していたバス路線の起点を1か所に集めることで、天満屋と市の周辺部、郡部とを直結、集客力を一気に高めた。「岡山市百年史」は、ヤミ市でにぎわっていた地域から「商業中心地が表町に移動するきっかけをつくった」と記している。

 さらに69年9月には、約3年後の山陽新幹線・新大阪―岡山間の開通をにらんで、店舗を増床するなど大規模な再開発を行い、売り場面積を約2倍の約2万2000平方メートルとした(現在の店舗は約3万3800平方メートル)。

「活性化に努める」

 天満屋取締役で岡山本店の難波康彦店長(57)は、今後についてコメントを寄せた。

 「表町地区で、商業の中核的な役割を担っていると認識している。文化行事の開催やトレンド情報の発信、新しい生活様式への対応、デジタル技術を生かした新たな価値の創造などにも積極的にチャレンジすることで、商店街の活性化に努め、共に成長していきたい」

(滝沢清明)

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1840890 0 New門@岡山 2021/02/14 05:00:00 2021/02/14 05:00:00 2021/02/14 05:00:00 1928年(昭和3年)頃の天満屋正面ショーウィンドー(天満屋提供) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/02/20210213-OYTAI50037-T.jpg?type=thumbnail

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