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<岡山>備前焼 1 土と炎の芸術 脈々と

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 土と炎の芸術と呼ばれる備前焼。 釉薬ゆうやく を使わず高温で焼くのが特徴で、備前市には作家や窯元、陶芸店が多く軒を連ねる。その素朴さと、同じものが二つとない<オンリーワン>の魅力が多くのファンを引きつけており、1982年には国の伝統的工芸品に指定されるなど県を代表する名産品となっている。そのルーツや現状を探り、これからの備前焼を考える。(水原靖)

ルーツは須恵器

備前焼の窯元やギャラリーが立ち並ぶJR伊部駅前(備前市伊部で)
備前焼の窯元やギャラリーが立ち並ぶJR伊部駅前(備前市伊部で)

 備前焼は「日本 六古窯ろっこよう 」(瀬戸、 常滑とこなめ 、越前、信楽、丹波、備前)の一つで、12世紀頃には製造が始まっていたとされる。そのルーツとされるのが「 須恵器すえき 」だ。

 須恵器は5世紀初頭、朝鮮半島から日本にやって来た渡来人の技術者が伝えた。それまで日本で作られてきた縄文式や弥生式の土器、 土師器はじき にはなかった高温にした窯を使用するのが特徴。祭礼などに使う目的で各地に広がった。その過程で現在の備前市伊部付近に窯を構えた工人が、備前焼の祖になったとされる。

 現代につながる製法が始まったのは、平安時代末期から。同市伊部に近い赤磐市の熊山(標高508メートル)の山頂付近にあった寺院の周辺に窯が築かれ、仏具やつぼ、すり鉢が生産された。時代を経るとともにそれらの工房がふもとに下りていき、室町時代後半には幅広い種類の焼き物が作られるようになったという。

釉薬主流で衰退

 実用性に優れた備前焼は「すり鉢のスリ目が減りにくい」「投げても割れず、ためた水が腐りにくい」と実用性が高いとして重宝され、全国的に広がりを見せる。一方で、茶の湯が発達した桃山時代には、独特の造形美と素朴さが茶人らの目に留まり、文化人や戦国大名の間で珍重されるようにもなった。

 だが、江戸時代を迎えると、伊万里や瀬戸など釉薬を使ったカラフルな陶器が主流となり衰退する。明治から昭和初期も苦しい時期が続く。戦時中は戦局の悪化とともに、 手榴弾しゅりゅうだん の本体部分としての使用を検討されたこともあった。

素朴さ再評価

 戦後も置物や急須といった生活用品を焼き、窯を維持するのがやっとという状態が続いていた備前焼を救ったのは、「中興の祖」と呼ばれる金重陶陽(1896~1967年)だった。陶陽は素朴で力強い備前焼の魅力を表現するため、桃山時代の茶器や古備前を研究。芸術性の高い作品を次々と発表して再評価につなげ、1956年には人間国宝に認定された。その他にも藤原啓や山本陶秀ら、優れた作家が活躍。1972年の山陽新幹線の新大阪―岡山間の開業も追い風となり、全国にファン層を広げた。

 栄華や衰退を重ねながらも、窯の煙が絶えることはなかった備前焼。備前市教育委員会の石井啓参事(59)は「先人たちのたゆまぬ努力のお陰で、今の備前焼がある。志を受け継ぐのが、私たちの使命」と強調する。

          ◇

 ニュースのポイントを解き明かす「New門@岡山」9月シリーズ、「備前焼」をテーマに5回にわたって掲載します。

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2358068 0 New門@岡山 2021/09/11 05:00:00 2021/09/11 05:00:00 2021/09/11 05:00:00 備前焼のギャラリーや窯元などの店舗が並ぶJR伊部駅前(備前市伊部で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/09/20210910-OYTAI50029-T.jpg?type=thumbnail

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