<変わる岡山 NEO PERSONS 7>伝統の一歩先 作品に
完了しました
備前焼作家 小川弘蔵さん

備前市の工房で、備前焼作家の小川弘蔵さん(39)は淡い色となめらかな質感の水差しを手に、
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備前焼作家・秀蔵さんの次男として生まれた。高度な技術を持つ職人が認定される伝統工芸士の資格を持つ秀蔵さんは、ろくろ使いで定評があり、特に茶わんや
大阪の大学を中退後、故郷に戻り、会社員として働いていたが、30歳の頃、父親の手伝いをするようになり、備前焼の制作を始めた。見よう見まねで取り組む姿を秀蔵さんは特に指導はせず、遠くから見守っていた。
2015年春、一般財団法人「伝統的工芸品産業振興協会」(東京)が主催する伝統工芸品の作り手と新進のデザイナーがコラボし、新しい作品を作り出すという企画の誘いがあった。東京で行われた海外展開を目指す事業の説明会に参加すると、会場には和紙や石材、漆器など、技術力のある職人が集合していた。
「自分の力が通用するのか」と、不安がよぎったが、東京で活躍するデザイナー・辰野しずかさんが「一緒にやりましょう」と声をかけてくれた。辰野さんは家具や小物のデザインなどを、幅広く手掛けるアーティスト。「備前焼の良さを生かす製品は何か」と懸命に考えてくれる姿勢に強く共感した。
最終的に、辰野さんの提案で「ウォーターカラフェ(水差し)」を作ることに決まった。「備前
ただ、技術的な難しさがあった。辰野さんのデザインは細長く、非常に薄いもの。備前焼は「土と炎の芸術」と呼ばれ、できばえは偶然が大きく左右する。その良さを残しつつ、一定の厚さや強度を保つのは難しく、試作をしては失敗する毎日だった。
手をさしのべてくれたのは、秀蔵さんだった。初めて2人で考えた。何か月も試行錯誤を繰り返し、陶芸用のかんなを使う技法などを取り入れ、スタイリッシュに仕上げた。縁の角を丸くして欠けにくくすることで、日常で使いやすいよう工夫もした。
16年2月、作品の発表会で高い評価を受け、東京や京都のデパートなどから注文が舞い込んだ。欧米のバイヤーからも問い合わせが相次ぎ、生産が追いつかない人気となった。
別れは突然だった。昨年10月、秀蔵さんが工房で腰の痛みを訴え、念のため向かった病院で急変。そのまま帰らぬ人となった。69歳だった。葬儀などに追われる中、一緒に水差しを作った日々を思い出した。何度挑戦してもできなかった成形を、秀蔵さんはいとも簡単にやってのけた。基本に忠実で、高度な技術の持ち主だった。「おやじなしで、完成したかどうか……」
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鎌倉時代から同じ製法で作り続けられ、日本六古窯の一つに数えられる備前焼。今回の仕事がその巨大な流れの中の、ほんのひとしずくであることは分かっている。しかし、先人たちが伝統を大切にしつつ、常に一歩前を目指したから現代まで続いたのだと、今は思う。最後の最後に、父から大切な物を受け取った。それとともに、伝統を担う陶工のひとりとして未来へ進む。(水原靖)(おわり)
販売額減 ネットに活路
新型コロナウイルスの影響で、各地の窯元は苦境に陥っている。陶器市の開催延期や中止が相次いだほか、インバウンド(訪日外国人客)の激減で売り上げが落ち込む。
伝統的工芸品産業振興協会によると、同協会内の陶磁器を含む工芸品販売店の売り上げは2019年比でおよそ半減。備前焼も例外ではなく、多くの作家の作品が展示・直売される「備前焼伝統産業会館」(備前市)の販売額も同比35%減った。
インターネットに活路を求める窯元も多い。有田焼を扱った「Web有田陶器市」には、全国から3万件の注文が寄せられた。備前焼も初の「オンライン備前焼まつり」を開催したほか、備前市がふるさと納税の返礼品の品目を増やすなどした。