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    <5>伝統たこ焼き 世界熱く

    • 喜多さんは「よそとは違う、うちの味」を守りながら、きょうもたこ焼きを焼いている=尾賀聡撮影
      喜多さんは「よそとは違う、うちの味」を守りながら、きょうもたこ焼きを焼いている=尾賀聡撮影

     ◇「うまい屋」ミシュラン掲載

     畳1枚よりも大きいだろうか。巨大なタコをあしらった、ブリキの黒ずんだ看板が店の歴史を物語る。

     「おいでやす通り」の愛称で親しまれる大阪市北区の「天五中崎通り商店街」入り口あたりに、老舗たこ焼き店「うまい屋」はある。

     1953年創業。「昔と変わらん味やと言うてもらえるのが一番うれしい」。4代目の喜多泰造さん(39)が言う。

     かつおだしで小麦粉を薄く溶いた生地を使う。薄い皮がかりっ、中身はもちっとしている。いつまでもあぶっていると油を吸って硬くなるから、焼き上げたらすぐに火からおろし、特注の銅製保温器に入れる。

     生地が醸し出すだしの風味を楽しんでもらう、本場の焼き方を守る店だ。

     曽祖母が店を開き、祖父、父が継いできた。泰造さんは大学を出てほかの仕事をしていたが、14年前に跡を継ごうと店に入った。

     「駆けだしのころ、祖父からは『よそのん食べるんやったら、うちのを食べて味を覚えろ』といわれたもんです」とふり返る。

     平成時代になって、たこ焼きは変化の時を迎えた。発祥から半世紀を経て、「全国デビュー」を果たしたのだ。ただ、大阪人にはいささか不本意なことだった。立役者が首都圏の人々だったからだ。

     たこ焼きの歴史に詳しい「日本コナモン協会」会長の熊谷真菜さんによると93年、関西のたこ焼き人気にあやかろうと、横浜の不動産会社が東京・渋谷に店を出した。同じ場所に3店が軒を並べ、長蛇の列ができた。「バブル経済の時代に『ええもん』を食べ尽くした人たちが、安くて手軽に食べられるたこ焼きに興味を持ったんですね」。熊谷さんはそう分析する。

     極めつきは、今や全国472店舗を擁し、全国最大のたこ焼き店チェーンを築いた「築地銀だこ」の登場だった。97年、運営会社「ホットランド」が本社を置いていた群馬県に1号店が登場すると、関東地方のたこ焼きブームにも乗って店を増やした。

     ただ、2000年の大阪初出店では、「こんなん、たこ焼きとちゃう」という客もいたのだという。

     ここのたこ焼きは、仕上げに油を入れ、高温で焼き上げる。同社の広報担当者は「宅配や家に持ち帰る間にかたちや味を保つための工夫だが、表面が揚げたようにぱりっとする食感が、大阪のたこ焼きとは別物だったことから出た反応だった」と説明する。

     それでも、同社はスタイルは変えずに出店と撤退を繰り返し、府内でも10店にまで増やした。

     喜多さんは、海外進出も果たし「たこ焼きを日本のソウルフードにしたい」という築地銀だこのことを、好意的に受け止めている。

     「たこ焼きの知名度が上がるのはいいことですやん。それぞれの味を国内外に広めて、日本の食文化を支える力になれればいいんです」と話す。ただ、こうも言った。「僕は自分の目が届かないところで『うまい屋のたこ焼きです』と、お客さんに商品を出すのが性に合わないんです」

     だから、サテライト店や「うまい屋」ブランドの冷凍たこ焼き販売の話を持ちかけられても、すべて断ってきたのだという。

     このところ、喜多さんの店には外国人客が訪れるようになった。世界のレストランなどを格付けする「ミシュランガイド京都・大阪2016」に、うまい屋を含む大阪のたこ焼き11店が初掲載された。熊谷さんが「大阪人にとって肌の一部みたいなもので、わざわざ語るものではなかった」というたこ焼きは、世界からも注目を浴びる存在になり始めている。

     「ミシュランに載ってよりいっそう、いいものを出したいという気持ちになった」と語る、若き4代目は「創業100年が目標」と言ってはばからない。

     先々代からたたき込まれた「よそとは違う、うちの味を知れ」の戒めを胸に、きょうも「うまい屋」で使うためにだけ作られた、銅製のたこ焼き器と向き合っている。(門脇統悟)

    (おわり)

    2018年01月06日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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