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〈41〉長堀 龍馬や弥太郎も歩いたか

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浪花百景「長堀財木市」(大阪市立図書館デジタルアーカイブより)
浪花百景「長堀財木市」(大阪市立図書館デジタルアーカイブより)
かつての土佐藩邸の敷地にある土佐稲荷神社。後方に司馬遼太郎が住んだ高層アパートが見える(大阪市西区で)
かつての土佐藩邸の敷地にある土佐稲荷神社。後方に司馬遼太郎が住んだ高層アパートが見える(大阪市西区で)

江戸時代初めに開削された長堀川は、東横堀川(現在の大阪市中央区)から木津川(同西区)までの約2・5キロを東西に流れていたが、第2次大戦後、1971年までに全て埋め立てられた。浪花百景「長堀財木市」には、材木を積んだ船が行き、対岸で多くの人が競りをする様子が描かれる。市が立ったのは午前中で摂津名所図会は「関西土佐及び日向より諸材をここに積上つみのぼせて朝の市に数千金をあきなう也」と記す。

 土佐藩は長堀川の川岸に4500坪(約1・5ヘクタール)に及ぶ蔵屋敷を置き、木材やかつお節など特産品を扱う問屋も集まった。長堀通の大阪メトロ西長堀駅の上にある交差点「鰹座橋」はその名残だ。明治以降、岩崎弥太郎が邸宅を構え、現在の三菱グループにつながる事業を始めた場所でもある。

 小説「竜馬がゆく」では坂本龍馬が岩崎弥太郎と長堀川沿いを歩く。著者の司馬遼太郎はエッセーで執筆時に住んでいた高層アパートから眺めた土佐稲荷神社の満開の桜を書いている。アパートも神社も藩邸の敷地だった。当時を知る司馬遼太郎記念館の上村洋行館長は「小説を書いていた後ろ姿を覚えています。大坂の町は司馬さんも歩いたのでしょうねぇ。この場面、そんな息づかいを感じますよ」と、懐かしむ。

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1961113 0 面影さがし 2021/04/05 05:00:00 2021/04/05 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210404-OYTAI50002-T.jpg?type=thumbnail

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