読売新聞オンライン

メニュー

ニュース

動画

写真

スポーツ

コラム・連載・解説

発言小町

漫画

教育・受験・就活

調査研究

紙面ビューアー

その他

サービス

読売新聞のメディア

購読のお申し込み

読売新聞オンラインについて

公式SNSアカウント

練習365日 メンタル強化

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

祭里さん(左)と楽しげに語らいながら歩く母・恵子さん(兵庫県西宮市の武庫川女子大で)=宇那木健一撮影
祭里さん(左)と楽しげに語らいながら歩く母・恵子さん(兵庫県西宮市の武庫川女子大で)=宇那木健一撮影
初めてシニアの大会に出場した東京辰巳国際水泳場で辰巳楓佳コーチ(左)と記念撮影する祭里さん。後方にある最も高い台が10メートルの飛び込み台(2015年4月撮影、恵子さん提供)
初めてシニアの大会に出場した東京辰巳国際水泳場で辰巳楓佳コーチ(左)と記念撮影する祭里さん。後方にある最も高い台が10メートルの飛び込み台(2015年4月撮影、恵子さん提供)

飛び込み東京五輪代表を育てた 荒井(あらい)   恵子(けいこ) さん 51<中>

 女子高飛び込み東京五輪代表に内定している武庫川女子大2年、荒井祭里まつりさん(20)(JSS宝塚)は、10年前の夏、「丸善インテック大阪プール」の飛び込み台に立っていた。眼下に広がる水面までは建物の4階とほぼ同じ10メートル。初めて体験する高さに身がすくんだ。それでも勇気をふり絞って真っすぐに飛び降りた。

 母・恵子さん(51)は、家に帰ってきた祭里さんの少し誇らしげな様子を覚えている。

 「入水時、足にかなりの衝撃はあったようでしたが、『飛べたよ』って、うれしそうに報告してくれました」

 空中での切れのある演技を支える筋力や柔軟性はもちろんのこと、飛び込み選手には、何より集中力と怖さを乗り越える精神力が必要とされる。だが、祭里さんは、その怖さになかなか打ち勝てずにいた。

 「新しい技に挑む時など、いつまでたってもプールに飛び込むことができず、涙をためたまま板の上で粘り続けていたら、コーチが怒って帰ってしまったこともありました」

 そんな「びびり」で目立たない選手だった祭里さんを、「粗削りだけれどセンスがある」と高飛び込みの練習に誘い、つきっきりで指導してくれたのは、元世界選手権代表の辰巳楓佳コーチ(27)だった。

 10メートルの台から猛スピードで水面に突入する高飛び込みは、実はケガと隣り合わせ。バランスを崩すと、入水時の衝撃で網膜剥離はくりになったり、脱臼、骨折したりもする。

 「やみくもに飛び込むのではなく、どうすれば危険を回避できるか。『水面に手で穴を掘って体を入れてやる』入水テクニックなどを基礎から理論だてて教えてもらい、祭里は全幅の信頼を寄せていました」

 指導は厳しかったが、中学2年になっていた祭里さんは歯を食いしばって練習メニューをこなした。トレーニングは365日、1日の休みもなく続いた。授業のある日は放課後に5時間、休日は朝から9時間に及んだ。

 介護の仕事をずっと続けていた恵子さんに代わって、幼い頃から車でスイミングスクールへ送迎してくれたのは義父だった。その義父が体調を崩してからは、毎日、水着の入ったバッグを持った実母がバス停まで行き、下校してきた祭里さんと合流。交換に重たい学校カバンを受け取ってバスを見送ってくれた。

 「帰宅したら太ももに青アザができていたことも。『手首が痛い』としきりに言っていたら、知らぬ間に右手首を疲労骨折していたこともありましたね」

 大きな転機となったのは、2014年12月、初めて海外に渡った中国での合宿。現地の選手たちに交じって、3週間、泣きながらも厳しいトレーニングをやり遂げたことが、弱かった精神面の克服につながった。

 「練習は裏切らないということを肌で学び、自信が芽生えたようでした。帰国後は、朝5時に起きて勉強してから登校するなど、学習面もこれまで以上に力を入れるようになりました」

 本格的に高飛び込みの練習を始めて1年足らずの15年8月には、全国中学校水泳大会で見事に優勝。難度の高い技もこなせるようになってきていた。

 いつものように練習に向かう前、突然、「もう、やめようかな」と祭里さんが漏らしたのは、その優勝から3か月後。体つきが大人へと変わり始め、技の切れがなくなってきたことに加え、公立の進学校か競技優先の私学か、高校への進路選択に心が揺れていた時期でもあった。

 「娘が『やめようか』と口にしたのは、後にも先にもこの1度だけ。ここまで頑張ってきたのに……との言葉をのみ込んで、『やりたいことをやったらいいよ。自分で決めるしかない。コーチにきちんと話しなさい』と送り出しました」

 相談したコーチからは、2人1組で演技するシンクロのワールドカップ(W杯)代表に決まったことを告げられた。自分が欠場したら、ペアの選手に申し訳ないとの気持ちが、競技との決別を思いとどまらせた。

 翌年2月、初の国際試合となるリオデジャネイロW杯に出発する2日前、ずっと活躍を楽しみにしてくれていた義父が他界した。

 「肺がんで弱った体をおして東京までW杯の代表選考会を見に来てくれていた最愛の祖父の葬儀に、祭里は出られずじまいでした」

 今まで支えてくれた人たちのために、自分がなすべきことは何か。帰国した祭里さんの心にもう迷いはなかった。

 「行けたらいいな」だったオリンピックが「行かなければ」に変わった。

無断転載・複製を禁じます
スクラップは会員限定です

使い方
1891240 0 母なればこそ子と歩む 2021/03/07 05:00:00 2021/03/07 05:00:00 2021/03/07 05:00:00 祭里さん(左)と楽しげに語らいながら歩く母・恵子さん(兵庫県西宮市の武庫川女子大で)=宇那木健一撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210306-OYTAI50004-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)