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創業当時の大阪紡績三軒家工場(東洋紡提供)
創業当時の大阪紡績三軒家工場(東洋紡提供)

渋沢栄一と商都・大阪

 大阪・三軒家の公園に「近代紡績工業発祥の地」と刻まれた石碑が立つ。ここは、渋沢栄一らが設立した「大阪紡績」(現・東洋紡)が本社工場を置いた地だ。かつて大阪は繊維産業が隆盛を極め、英国の産業革命発祥の地になぞらえて「東洋のマンチェスター」と称された。

国産綿に危機

 江戸時代、木綿は庶民の衣料素材として大量に消費され、綿糸生産は重要な産業だった。しかし、欧米各国と通商条約が結ばれると、海外から安価な綿製品が大量に輸入され、明治初期には、国内の綿産業は壊滅の危機に陥った。

 第一国立銀行(現・みずほ銀行)の頭取だった渋沢は、海外に負けない紡績会社の設立を構想する。英国留学中で後の大阪紡績社長、山辺丈夫に指示して本場の技術を学ばせ、大阪の財界人・藤田伝三郎や松本重太郎らと協力して1882年、大阪紡績を設立した。

 日本初となる近代的な紡績工場は、先に操業していた官営紡績所の5倍を超える規模。欧州では機械の動力に河川の水力が多く用いられたが、日本では安定した水力を得るのが難しく、蒸気機関を選んだ。大阪の経済史に詳しい宮本又郎・大阪大名誉教授は、大阪への立地について「蒸気機関に必要な石炭を運び込める海に近い場所が選ばれた」と説明する。

 工場は、電灯をつけて24時間操業で綿糸を作り続けた。当時、電灯はまだ珍しく、工場に大勢の見学者が訪れたという。

理念 次世代社員に

 1914年、大阪紡績は渋沢の仲介で三重紡績と合併。渋沢は「東洋一の紡績会社に」との願いを込めて東洋紡績と命名した。31年には、大阪合同紡績と合併して世界最大規模の紡績会社となった。

 大阪紡績を追いかけるように、紡績会社が次々と生まれた。1891年には国内綿糸の生産高が輸入高を上回り、97年に輸出高が輸入高を超えた。日本は世界的な紡績大国に押し上げられたのだった。

 100年前の1921年、聖徳太子の1300年御遠忌ごおんき奉賛会のために関西を訪れた渋沢は、東洋紡績に立ち寄って社員に訓示を行った。その際に座右の銘「順理則裕じゅんりそくゆう」を揮毫きごうした扁額へんがくが、今も東洋紡本社役員室に掲げられている。

 東洋紡は2019年、渋沢の日記などの検証から、その言葉の意味を「世の中をゆたかにすることで自らも成長する」と再定義した。今月1日に開かれた入社式でも新入社員に紹介され、渋沢の理念が次世代へ伝えられている。(福永正樹)

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1994322 0 New門@大阪 2021/04/19 05:00:00 2021/04/19 05:00:00 2021/04/19 05:00:00 1883年創業当時の大阪紡績三軒家工場(大阪市大正区、東洋紡提供で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210418-OYTAI50010-T.jpg?type=thumbnail

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